限り あれ ば 吹 かね ど 花 は 散る もの を 心 短 き 春の 山風。 西行

歷史上的英雄臨死前都說了些什麼?

限り あれ ば 吹 かね ど 花 は 散る もの を 心 短 き 春の 山風

新人啊新人 拜组来了 希望我们这个组茁壮成长啊:) 明智光秀 顺逆无二道,大道贯心源, 五十五年梦,醒时归一眠。 足利义辉 梅雨如露亦如泪,杜鹃载吾名至云。 尼子胜久 决断渡都之路差之千里,历经四方终归故乡。 毛利元就 求得知己便如迟开的樱花,尚存有昨日春天的花香。 无夜月入鹫山,令吾名至云高处。 天野隆良 不来不去、无死无生,今日无云万里晴,月上峰顶格外明。 伊香贺隆正 请君见,吾之千年幽思,如那不朽山松永不磨灭。 石川五右卫门 即使是川海滨边细小的沙子,也会被世间的的贼人盗去做巩固种子的土壤。 井伊直政 人的生死存亡之大事,变幻是如此迅速无常。 (生死大事,变幻无常。 按他字面看其实就这么点。。 ) 石田三成 吾身就如筑摩江芦间点点灯火,随之消逝而去。 上杉谦信 极乐地狱之端必有光明,云雾皆散心中唯有明月。 (吾心中之明月啊) 四十九年繁华一梦,荣花一期酒一盅。 宇喜多秀家 仅与金刚寺的菩萨种的青松作一别。 吉川経家 吾身如同武士所取下的梓弓,一去不复栖处。 大内晴持 此身如云般离开大内,却终化为出云湾的海草屑末。 大内义隆 漂浮无停难留吾名,恨世间春之暗波,终彻悟胜败皆不过朝露电光,一逝即过。 大内义长 怨艾悄然而生,发觉时,化恨成岚已催得花尽散。 大嶋澄月 吾身就似被隐云所暂遮的清月,(至此地步)已放不出一丝光芒。 (此句完全就是以自己名字暗喻的嘛。。。 ) 大嶋照屋 忽见云遮月隐,此思绪甚惜在明之月。 太田道灌 生时未惜命之珍贵,只可惜空空躯壳,不留得半点回忆。 太田隆通 秋风不至深山处,残叶(枫叶)亦终将散去。 大谷吉継 乃注定在此六歧路,恭候迟早将来之日。 (应该是指做好早晚都要死的心理准备了吧。。。。 ) 冈部隆丰 白露消逝秋名殆去,惟独末松受残风。 冈谷隆秀 此身时去时还,跨清风渡水,唯明月仍在天。 小幡义実 吞宝剑弃名弓,只观得这一阵清风。 垣并房清 莫论胜败功绩,人情皆一时,此地不产一物,惟有山寒海水清。 蒲生氏郷 时之有限花吹散,此心归于春山风。 蒲生大膳 吾持马刀下黄泉(三途川),是深是浅皆不告诉你。 『河角摄政记录』版 过去主要在内海海湾在尾张等待的羽柴筑前。 『姓乡记录』,『势州战记』版。 过去主要在内海的野地间等待捷报的羽柴筑前。 『坡之战逸话』版。 (这是辞世么?) 黒川隆像 梦亦是梦,空犹是不空中,不去不来,惟在中央。 黒田孝高 不叙往事先去探路(下黄泉),若是往后你迷路了就交给我吧。 斎藤道三。。。。。。。 抱歉,看的极矛盾,实在不知怎么翻。。 斎藤利三 生命短暂的露水来不及等到天明见到明日的山丘,便在这短夜中消逝了。 (这句是看到现在最好翻的了。 几乎没文言) 佐久间盛政 世上永不停止转动的小车,出了火宅的门便完结了。 这句也看的糊哩糊涂的。。 ) 佐佐成政 迩来忧患集一身,铁胄身躯今始破。 岛津忠良 莫急且留吾心啊,吹不去所决定的限度。 岛津歳久 此身掩于蓑衣中,悄然登至白云上。 岛津义弘 春樱秋枫留不住,人去关卡亦成空。 少弐政资 花散非风之罪,乃因春将尽。 终善非人之过,只因时已至。 诹访頼重 悄然尽枯的草叶,赋其灵得又一生。 柴田胜家 夏梦无常一世名,杜鹃凄鸣上云霄。 清水宗治 浮沉乱世身已去,惟有此名留松苔。 陶晴贤 何惜何怨溯本求原,天命注定在此身中。 高桥镇种 滔滔红尘无永生, 门苔沟水掩吾名, 门苔青下埋吾身, 恐怕此名亦传不至云端处了吧。 武田胜頼 月色朦胧云淡霞隐,待放晴时,再去那西山之端吧。。 武田信玄 此身此骨归于天地,不沾红尘,独自风流。 伊达政宗 心中明月当空无丝云,照尽浮屠世间黑暗。 丰臣秀吉 身如朝露,飘渺随梦,大阪叱咤风云,繁华如梦一场。 丰臣秀次 如吾心观不尽花月,于尘世不留半点浮思。 鸟居强右卫门 吾等性命同念珠之绳,乃无与伦比武士之道。 平冢为広 为君辞命再所不惜,留世间思绪不停息。 别所长治 临终无怨亦无恨,仅将吾身代诸君之命。 三浦义同 〖道寸〗 胜兵败将皆如瓦器(素陶),一朝破碎终归尘土。 三浦义意 天皇世世永存,纵然黄梁一梦,是梦是实皆不知,醒来惟见,一隙晨光照尘世。 三原绍心 挥手中太刀,余音缭绕久久不息,必能传至天之顶端。 三好义贤 枯草上的霜雪随着早晨的阳光消失了,吾命也如此终究逃不过报应啊。 长野业盛 春风吹得樱梅散尽,惟留吾名至箕轮山中。 二条良丰 秋风咆哮狂扫真葛原,吾留怨恨直上云霄。 祢宜右信 狂风过后的平原,残印点点见草上露水,尚未凋谢的花(如同这乱世)也来日不长了。 别所友之 一生寄命于梓弓,一无所有名留世。 别所治忠 君已不在,吾这满负伤愁之身也无意义留此世上了。 北条氏照 生于天地之清澈,归于本愿之清澄。 北条氏政 正是有了枫叶残留的秋天, 才会有怨恨秋风散花的春天, 吾心便如那吹散云雾见明月的秋之晚风。 这个翻得很勉强的。。 ) 细川高国 呈现吾胸中鸿图这志所建起来的山河,即便到了来世也会注视着。 黒川隆像 梦亦是梦、空犹是空、不来不去 端的の中に在り 黒田孝高 おもひおく言の叶なくてつひに行く 道はまよはじなるにまかせて 斎藤道三 舍ててだにこの世のほかはなき物を いづくかついのすみかなりけん 斎藤利三 消えてゆく露のいのちは短夜の あすをも待たず日の冈の峰 佐久间盛政 世の中を廻りも果てぬ小车は 火宅の门を出づるなりけり 佐佐成政 この顷の厄妄想を入れ置きし 鉄钵袋今破るなり 岛津忠良 急ぐなよまた留るなわが心 定まる风の吹かぬ限りは 岛津歳久 晴蓑めかたまのありかを人とは々 いさ白云の上もしられず 岛津义弘 春秋の花も红叶もとどまらず 人も空しき関路なりけり 少弐政资 花ぞ散る思へば风の科ならず 时至りぬる春の夕暮 善しやただみだせる人のとがにあらじ 时至れると思ひけるかな 诹访頼重 おのづから枯れ果てにけり草の叶の 主あらばこそ又も结ばめ 柴田胜家 夏の夜の梦路はかなきあとの名を 云井にあげよ山ほととぎす 清水宗治 浮世をば今こそ渡れ武士の 名を高松の苔にのこして 陶晴贤 何を惜しみ何を恨みん元よりも この有様の定まれる身に 高桥镇种 流れての末の世远く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水 屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 云井の空に名をとどむべき 立花道雪 异方に心ひくなよ豊国の 鉄の弓末に世はなりぬとも 武田胜頼 胧なる月もほのかにくもかすみ 晴れて行くへの西の山の端 武田信玄 大ていは地に任せて肌骨好し 红粉を涂らず 自ら风流 伊达政宗 昙りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照してぞ行く 豊臣秀吉 つゆとをちつゆときへにしわがみかな 难波の事もゆめの又ゆめ 豊臣秀次 月花を心のままに见つくしぬ なにか浮き世に思ひ残さむ 鸟居强右卫门 わが君の命にかわる玉の绪を 何いとひけん武士の道 平冢为広 君がためすつる命は惜しからじ つひにとまらぬ浮世と思へば 别所长治 いまはただ恨みも有らず诸人の 命に代はる我身と思へば 北条氏政 雨云のおほへる月も胸の雾も はらひにけりな秋の夕风 三浦义同 〖道寸〗 打つ者も讨たれる者も土器(かわらけ)よ 砕けてあとはもとの土くれ 三浦义意 君が代は千代に八千代もよしやただ うつつのうちの梦のたはぶれ うつつとも梦とも知らぬ一睡り 浮世の隙をあけぼのの空 三原绍心 うつ太刀のかねのひゞきは久かたの 天津空にも闻えあぐべき 三好长治 三好野の梢の雪と散る花を 长治とやは人のいふらむ 三好义贤 草枯らす霜又今朝の日に消えて 报のほどは终にのがれず 长野业盛 春风に梅も桜も散りはてて 名のみ残れる箕轮の山里 二条良豊 秋风や真葛原に吹き荒れて 恨みぞ残る云の上まで 祢宜右信 风荒み迹なき露の草の原 散り残る花もいくほどの世ぞ 别所友之 命をもおしまざりけり梓弓 すゑの世までも名の残れとて 别所治忠 君なくば忧き身の命何かせむ 残りて甲斐の有る世なりとも 北条氏照 天地の清き中より生れきて もとのすみかにかえるべらなり 北条氏政 吹くとふく风な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ 雨云のおほへる月も胸の雾も はらたにけりな秋の夕风 细川高国 絵にうつし石を作りし海山を のちの世までも目かれずや见ん なしといひありと又いふことの叶や 法のまことの心なるらん 细川玉子 ちりぬべき时知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ 右田隆次 末の露本の雫に知るやいかに つひに遅れぬ世の习ひとは 山崎隆方 ありと闻きなしと思うも迷いなり 迷いなければ悟りさえなき 冷泉隆豊 みよやたつ云も烟も中空に さそひし风のすえも残らず 吉弘统幸 明日は谁が 草の屍や照らすらん 石垣原の今日の月影 お市の方 さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 别れをさそふ郭公 ほととぎす かな 千利休 ひっさぐる我が得具足の一つ太刀 今此时ぞ天に抛つ 大内义隆 见よや立つ云も烟も中空に,さそひし风の末も残らず。 伊贺民部少辅 思ひきや,千年をかけし,山松の朽ちぬる时を,君にみんとは。 垣并佐渡守 莫论胜败迹,人我暂时情,一物不生地,山塞海水清。 山崎勘解由 无しと思ふも,迷ひなり,迷ひなければ,悟りさへなき。 陶晴贤 何を惜しみ,何も恨みん,元よりも,この有样の定まれる身に。

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斎藤茂吉 万葉秀歌

限り あれ ば 吹 かね ど 花 は 散る もの を 心 短 き 春の 山風

辞世の句 男性句 (最新見直し2006.6.26日) 【倭建命(ヤマトタケルノミコト)】 「 倭 (やまと) は 国のま秀 (ほ)ろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭し うるはし」 (解説) 日本武尊とも。 古事記や日本書紀に登場する古代の英雄。 正確には辞世の句ではないが、戦いに敗れて故郷を思って詠った歌。 このすぐ後に死ぬ。 【有間皇子(アリマノミコ)】 「磐代(いわしろ)の浜松が枝を引き結び 真幸(まさき)くあらば また還(かへ)り見む」 「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」 (解説) この2編は19歳で刑死した有馬皇子の辞世の句で、記録に残る辞世としては最も古い。 皇子は蘇我赤兄にだまされ、中大兄皇子にクーデターを起こそうとしてたところを捕らえられ、白浜温泉で処刑されたと伝えられている。 政変に巻き込まれた19歳のプリンスが、白浜へ護送される途中の作である。 松の枝と枝を結び合わせて無事を祈る風習に掛けて、生還を詠んでいる。 もう一つは、以前から馴染み深い若妻への愛を込めた歌であり、同時に詠まれている。 【大津皇子】 「ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」 (解説) 万葉集にある大津皇子の句。 大津皇子は、天武天皇の皇子であるが、謀叛を企てたとして殺される。 【山上憶良】 「士やも空しくあるべき 万代に語りつぐべき 名は立てずして」 【在原業平】 「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」 【西行法師】 「願はくば花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ」(1190.2.16日) (解説) 時代は遥かに下るがこれもつとに有名な辞世である。 西行は自分の死を二月一五夜の頃 桜花爛漫たる中にと願った。 その願いを託したこの歌は、実際の死に十年ほども先だって作られたものであるらしい。 よく知られるように、北面の武士から二十三歳の若さで 突如出家した彼は、漂泊の中に生涯を過ごした。 一所不在の精神によって身を軽くし、軽さによって月や花の世界に飛翔し去ることを念願したのだという。 【源三位頼政】 「埋(うも)れ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 哀れなりける」 【源実朝】 「出でて去(い)なば 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」 (解説) 鶴が丘八幡宮に詣でる前に詠んだとされているが真偽不明。 【北条時頼】 「業鏡高く懸(かか)げ 三十七年 一槌にして打ち砕き 大道坦然たり」 【夢窓疎石】 (1351年没、享年77歳) 「真浄界中別離無し 何ぞ須らく再会を他時に待たん 霊山の付嘱(たのみ)今日にあり 護法の権威誰か仰がん」 (解説) 臨済宗の禅僧。 1325年、後醍醐天皇の勅により南禅寺の住持となるが、北条氏に請われて鎌倉に入る。 北条氏滅亡後再び南禅寺に入る。 京都騒乱後は天竜寺の開祖となる。 【日野俊基】 「死も無く生も無し万里 雲尽き 長江 水清し」 (解説) 古来の一句。 後醍醐天皇のスパイとして元弘の変で鎌倉方に捕らえられ処刑された近臣です。 山伏に姿を変えて各地の様子を探り、天皇に報告していたりしたそうです。 ちなみにこの辞世の頌(じゅ)は処刑直前に懐中の紙に書いたものだそうです。 【足利尊氏】 「 文武両道は、車輪のごとし。 一輪欠ければ人をわたさず。 しかれども、戦場に文者は功なき者なり」 【足利義尚】 (1849年没、享年25歳) 「もしを草あまの袖じの浦波に やどすも心有明の月 出る日のよの国までの鏡山を 思し事もいたづらの身や」 (解説) 足利幕府第九代将軍。 母は日野富子。 長亨元年(1487)7月、近江の守護六角高頼を討つために出陣。 延徳元年3月26日、母の介護の甲斐なく死去。 【足利義輝(あしかがよしてる)】 (1536〜1563) 「五月雨(さみだれ)は露か涙かほととぎす 我が名を挙げよ 雲の上まで」 【一休宗純】(1481年没、享年88歳) 「 朦々(もうもう)として三十年 淡々(たんたん)として三十年、朦々淡々として六十年 末期の糞をさらして梵天に捧ぐ 借用申す昨月昨日、返済申す今月今日。 借りおきし五つのもの(地水火風空の五大)を四つ(地水火風)返し、本来空に、いまぞもとづく」 (解説) (意訳:この世界、誰が我を理解できよう。 虚堂が来て禅を示そうと、半銭にも値しない) 室町時代の禅僧。 30歳頃から風狂さが発揮される。 文明13年、持病の瘧(熱病)が悪化し、11月酬恩庵にて死亡。 その最後の10年間、盲目の森侍者と夫婦として過ごしたという。 室町時代の禅僧。 30歳頃から風狂さが発揮される。 文明13年、持病の瘧(熱病)が悪化し、11月酬恩庵にて死亡。 その最後の10年間、盲目の森侍者と夫婦として過ごしたという。 他に次のような句が残されている。 「うろじより むろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」 うろじ:この世 むろじ:あの世 「借り置きし 五つのものを 四つ返し 本来空(くう)に 今ぞもとづく」 「須弥南畔(この世界)誰か我禅に会う。 虚堂来る也。 半銭に値せず」 「仏法は なべのさかやき石の髭 絵にかく竹のともずれの声」 「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」 「行く水に数書くよりも儚きは 仏を頼む人の後の世」 「毒薬変じて薬となるなれば 罪の重きは仏にやならん」 「問へば言ふ 問はねば言はぬ達磨どの 心のうちになにかあるべき」 「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 「持戒は驢(ろば)となり 破戒は人となる」 持戒:戒律を守ること 破戒:戒律を破ること 「心とはいかなるものをいふならん 墨絵に書きし松風の音」 「本来も無き古の我ならば 死に行く方も何も無し」 「秋風一夜 百千年」 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 【大内義隆】 「討つ人も 討たるる人も 諸ともに 如露(にょろ)亦如(やくにょ)電応作如(でんおうさにょ)是観(ぜかん)」。 【良寛】 「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」 晩年句「形見とて何か残さん春は花 夏ほととぎす秋はもみじば」 【至道無難禅師】 「さいかくと 知恵にてわたる 世なりせば ぬす人は世の 長者なるべし」 【白隠慧鶴】 「慎みの こころの花を 池の坊」 「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」 【慈鎮和尚】 「今日ありと思うて日日に油断すな 明日をも知れぬ露の命を」 【至道無難】 「とく法に心のはなはひらけどもそのみとなれる 人はまれなり」 【大田道灌】 (1486年没、享年54歳) 「かかるとき さこそ命の惜しからめ 兼(かね)て亡き身と 思ひ知らずば」 「昨日まで まくめうしうを 入れおきしへむなし袋 今破りてむ」 (解説) 武将。 上杉定正の執事。 江戸城、河越城などを築く。 7月26日、主君の上杉邸で暗殺される。 室町中期の人。 扇谷上杉家の家宰。 主家に暗殺される。 この人の死が戦国時代の幕開けといえる優秀さゆえに自分の主人・上杉定正に暗殺された大田道灌の辞世の句ですが、これは後世の作だそうです。 【今川氏真(いまがわ うじざね)】(1538〜1614) 「なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして 悔しともうら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな」 【斎藤道三(さいとう どうさん)】 (1494〜1556) 「捨ててだにこの世のほかはなき物を いづくかつひのすみかなりけむ」 (解説) 油売り商人から美濃の国主となった一代の梟雄。 弘治二年四月、息子義龍の反逆にあい、六十二歳で長良川原の露と消ゆ。 末子勘九郎に与えた遺書にある。 【仏行坊】 (1756年) 「ゆこうゆこうと 思えば何も 手につかず ゆこやれ西の 花のうてなへ」(近世畸人伝) (解説) 仏行坊はもと日枝山無動寺の住職であったが、院務がいやで坂本に隠居して、ひたすら念仏三昧に明けくれていた。 ある年の3月に、山僧が師の庵を訪ねると、また桜の季節に再び来たまえという。 そこでその時期になって訪れると、ただお茶を出すだけで、何のもてなしもしない。 「今日は花見だからもてなしがあると思った」と言うと、「花を見て、それでも心がもの足りないではいけない、足るを知りなさい」と説教を受ける。 こうした師も、宝暦6年4月いよいよこの世とお別れが近くなると、下部の僧が師の画像をもって、これに一言書き付けてほしいと依頼する。 それに答えてこの辞世の句と書いて、西に向かって合掌し亡くなられた。 【大内義長】 「誘ふとて 何か恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ」 (解説) 大内家に養子にはいった大友宗麟の異母弟。 弘治三年四月、毛利元就に攻められ自刃。 【朝倉義景】(享年41歳) 「かねて身の かかるべしとも 思はずば 今の命の 惜しくもあるらむ」 (解説) 越前一乗谷城主。 天正元年信長の攻撃を受け、義景は自決した。 名家朝倉家は滅亡した。 【山崎宗鑑】 (1553年没、享年89歳) 「宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとようありてあの世へといえ」 (解説) 俳諧の創始者。 はじめ足利義尚に仕えるが、その死に出合い、世の無常を感じて剃髪して尼崎に関居する。 ついで一休禅士に従う。 和歌・連歌を習うが、風狂の人として俳諧の普及につくす。 【上杉謙信】(1530〜1578没、享年48歳) 「極楽も 地獄もさきは 有明の 月ぞ心に かかる雲(かな)なき」(『名将言行録』) 「四十九年 一酔の夢、 一期の栄華 一盃の酒」 (解説) 戦国大名。 武田信玄と信濃の覇権をめぐって数度戦う。 天正6年3月、毛利氏と連合して織田信長と対決しようとしたが、出陣の6日前に脳卒中で死亡。 死の予感があったのか、謙信は2月に京都から画工を招いて自画像を描かせ、それに辞世の句を書き残している。 【武田信玄(たけだしんげん)】 (1521〜1573) 「大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流」 「上杉謙信とは和議を結ぶように謙信は男らしい武将であるから 頼ってゆけば若いお前を苦しめるような行いはすまい 私は最後まで謙信に頼るとは言い出せなかった お前は必ず謙信を頼りとするがよい 上杉謙信はそのように評価してよい男である」 【別所長治】(享年23歳) 「今はただ 恨みもあらず 諸人の 命に代わる 我が身と思へば」 (解説) 播磨国三木城主。 秀吉の攻撃を受け、天正八年。 二年にわたる兵糧攻めのすえ、兵の助命を嘆願し、割腹自決。 【毛利元親】 「人という 名をかる程や 末の露 消えてぞ帰る 本の雫に」 【毛利元親の養子、勝法師丸】 「夢の世に 幻の身の 生まれ来て 露に宿かる 宵の稲妻(いかづち)」 【織田信長】 「是非に及ばず」 愛唱句「人間五十年、下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり、一たび生を得て減せぬもののあるべきか」 (解説) これは本人の作ではないが、信長は合戦への出陣のたびによくこれを歌舞し、また死の 間際にも口ずさんだらしい。 私事ながら、父母の感化で幼い頃から能楽に親しんだ私は 先年この舞を大河ドラマで見て以来大いに興を覚えた。 早速手元の謡曲「敦盛」の教本 を調べたが、どこにも見あたらないので、出展をNHKへ問い合わせたのだが、当時満 足な答えは得られなかった。 その後前出の書で、これが幸若舞の「敦盛」の一節である ことを初めて知った次第である。 それはともかく、信長が志半ばに倒れたことや、また 現在人生八十年に延びたことも関係なく、「人生など夢幻に過ぎない」という感懐は私 にもよく理解できる。 そしてそれ故にこそ自分の人生の一日一日を充実させなければな らないという思いを一層強くするのである。 【清水宗治( しみずむねはる)】 (1537〜1582) 「浮き世をば今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」 (解説) 毛利家に仕える。 秀吉の高松城水攻めの際、降伏の条件として自害す。 【明智光秀】 (1582年没、享年55歳) 「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す」 (解説) 戦国武将。 初め斉藤氏に仕え、1566年信長に仕えた。 元亀2年(1571)若狭平定の軍功により、近江坂本城主となる。 天正10年6月、丹波亀山城から上洛し6月2日、本能寺で信長を討つ。 6月13日、山崎の合戦で秀吉に大敗。 小栗栖で殺される。 【武田勝頼(たけだかつより)】(1546〜1582) 「朧なる月もほのかに雲かすみ 晴れてゆくへの西の山の端(は)」 (解説) 信玄の子として威を振るうが、織田に抗しきれず滅ぶ。 【武田信勝】() 「あだに見よ たれも嵐の さくら花 咲き散るほどは 春の夜のゆめ」 (解説) 勝頼の子。 勝頼とともに自害。 ここに名家武田家は潰える。 【柴田勝家】(1522〜1583没、享年61歳、お市の方享年37歳) お市の方が、「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう 郭公かな 」 これに答えて勝家は、「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲居にあげよ 山郭公(ほととぎす ) 」 (解説) 武将。 信長の家臣。 本能寺の変以後、織田氏の後継者問題で秀吉と対立。 天正11年4月、近江賎ケ岳で敗れ、居城の北ノ荘城で、敵軍包囲の中を最後の酒宴を催し、翌日夫人(お市の方)と共に天守閣に登り、火を放って自刃する。 【筒井順慶】 つつい じゅんけい、1549〜1584 「根は枯れし筒井の水の清ければ 心の杉の葉はうかぶとも」 【北条氏政】 ほうじょう うじまさ、1538〜1590 「吹くとふく風な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ」 「雨雲のおほへる月も胸の霧も はらひにけりな秋の夕風(ゆふかぜ)」 「我身いま消とやいかにおもふべき 空より来りくうに帰れば」 (解説) 小田原北條四代。 秀吉の小田原攻めの後、その責任をとらされ自害させられる。 【】(享年30歳) 「結びして 解くる姿は かはれども 氷のほかの 水はあらめや」 (解説) 小田原北條五代。 小田原開城後、高野山へと追放され、のち許されて大名になるが、病死する。 【千 利休】 せんのりきゅう、1522〜1591、享年69歳 「人世七十 力圍希咄(カーッ、トーッ)吾這宝剣 祖仏と共に殺す ひっさぐる我が得具足の一つ太刀 今此時ぞ天に抛つ」 (解説) 安土桃山を代表する茶人。 織田信長、豊臣秀吉に仕える。 秀吉の怒りにふれ、自刀する。 茶道の完成者。 千家流茶道の開祖。 16歳のとき京都で茶会を開き、茶の湯の世界に登場。 天正13年(1585)秀吉の関白就任にあたり、禁中小御所で茶会が開かれたとき、天皇に茶を献じて利休居士の号を贈られる。 天正18年、秀吉の怒りを受け、翌年2月28日切腹する。 【石川五右衛門】 いしかわ ごえもん、? 〜1594 「石川や浜の真砂はつきるとも 世に盗人の種は尽きまじ」 (解説) 希代の大盗賊。 秀吉の寝所へ忍び込んだところを捕縛され釜ゆでに 16位 藤堂高虎 「寝室を出るときから今日は死ぬ番であると心に決めなさい その覚悟があればものに動ずることがない」 【蒲生氏郷】(1595年没、享年39歳) 「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山嵐(かぜ)」 (解説) 会津藩主。 若年で信長の人質となり、次いで秀吉に仕える。 小田原征伐の功により会津若松へ移封する。 会津を所領として嘆いたという。 文禄の役のとき、従軍中に病気となり自邸で歿した。 【豊臣秀次】 とよとみ ひでつぐ、1568〜1595 「月花を心のままに見つくしぬ なにか浮き世に思ひ残さむ」 「思ひきや 雲居の秋の 空ならで 竹編む窗の 月を見むとは」 (解説) 秀吉の養子となり関白になるが、秀吉の勘気を被り高野山へ追放、のち自害へと追い込まれる。 「うたたねの 夢の浮世を 出でてゆく 身の入相の 鐘をこそ聞け」 (解説) これは、秀吉に子ができたためといわれているその焦りが、また秀次をして殺生関白とならしめたとも。 【豊臣秀吉】(1598年没、享年63歳) 「露と落ち 露と消えにし 我が身かな なにわの事も 夢の又夢」(天正15年、秀吉51歳の時のもの) (解説) 「なにわ」は、なにもかもの意と難波(大坂)の掛け言葉。 父は織田家の足軽。 織田信長に仕え、天正1年(1573)近江長浜城主となる。 「本能寺の変」後、光秀を討ち、天正18年に天下統一を成し遂げる。 文禄・慶長の役(1592 〜98)を起こし朝鮮に出兵。 慶長3年8月、「虚損の症」(ガン)で伏見城にて死亡。 【石田三成】 いしだ みつなり、1560〜1600 「筑摩江や芦間に灯すかがり火と ともに消えゆく我が身なりけり」 【黒田孝高】(如水、1546〜1604没、享年59歳) 「おもいおく 言の葉なくて ついに行く 道は迷わじ なるにまかせて」 「我 人に媚びず 富貴(ふうき)を望まず」 (解説) 秀吉の軍師黒田官兵衛こと茶人黒田如水の辞世である。 波乱の生涯を通して水の如き聡 明さによって、乱世を生き抜いた勇気ある智者といわれる。 その名は「身は毀誉褒貶の 間にありといえども心は水の如く清し」にもとづく。 死に臨んで何も思い残すことはない。 遂に行く死という道に迷いを持たず、なるに委せて行こうという。 あれこれと惑い ながら結局は、「この世に未練はあっても悔いは残すまじ」というところに落ち着くで あろうわが辞世の大先達だと思ったりもしている。 キリシタン大名。 秀吉の軍師として仕え、山崎の合戦、九州征伐に功績をあげた。 関ケ原では家康側につき老年ながら九州で活躍した。 その後太宰府に隠居をして、福岡に教会を築いた。 慶長9年3月、山城国伏見屋敷に滞在中に急病で死亡。 遺言により福岡の教会で葬儀が営まれた。 【筒井定慶】 つつい じょうけい、? 〜1615 「世の人のくちはに懸る露の身の 消えては何の咎もあらじな」 【徳川家康】(1616年没、享年75歳) 「嬉しやと 二度さめて 一眠り うき世の夢は 暁の空」 「先に行く あとに残るも 同じこと 連れて行けぬを わかれぞと思う」 「三河武士は宝を持ちません しかし あえて宝といえば 私に命を預けてくれる五百騎の武士(もののふ)たちでありましょう」 (解説) 徳川初代将軍。 今川義元・織田信長と結び武田氏は滅ぼす。 ついで豊臣秀吉と和し、天正18年(1590)関八州に封ぜられて江戸城に入る。 秀吉の没後伏見城で執政、慶長5年(1600)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。 元和2年1月腹痛をおぼえ、容体が悪化して4月17日死亡。 棺は久能山に納められる。 【伊達政宗】(1567〜1636年没、享年69歳) 「雲りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」 (解説) 戦国〜江戸時代の人。 奥州に覇を唱えるも、遅すぎた英傑独眼龍政宗として有名です。 仙台藩の藩祖。 関ケ原の戦いで徳川方に組して上杉景勝と戦い、慶長八年(1603)居城を仙台に移して、仙台藩の基礎を築いた。 寛永13年4月、政宗は病気をおして江戸桜田の藩邸に入った。 5月21日、将軍家光は伊達屋敷に見舞に訪れ、それから3日後に死亡。 【小堀遠州】(1647年没、享年69歳) 「昨日といい 今日とくらしてあすかがは(飛鳥川) 流れてはやき月日なりけり」 「昨日といひ 今日とくらして なす事もなき身の夢の さむる曙」 (解説) 大名茶人、建築・作庭師。 幕府の作事奉行となり造園の指導に当たる。 古田織部に茶を習い遠州流を立て、後に徳川家光の師範となる。 死亡する半年前まで、約1年間に50数回の茶会を開いている。 戦国〜江戸時代の人。 庭園造りや、遠州流など、文化面で有名。 【浅野長矩】(1701年没、享年35歳) 「風さそう 花よりも猶 我はまた 春の名残りを いかにとかせん」 (解説) 忠臣蔵によって最も人口に膾炙した辞世である。 刃傷の動機について吉良上野介の意地悪がどこまで本当だったかは判らないが、浅野のみが一方的に即日切腹を命じられた片 手落ちの処断は史実のようである。 それだけに無念の思いは痛切であったろう。 その思いを託した一首は「風に誘われて散る花も名残惜しいだろうが、それよりも春が名残惜しい私は一体どうしたらいいのか」というまことに美しい辞世である。 そしてこれこそ 死の直前に詠まれたものに違いない。 短時間ではあれ苦吟したのだろうか、それとも究極の刻にすっと胸に浮かんだ心境の吐露だったのであろうか。 江戸時代の大名。 播州赤穂藩5万3千石の藩主。 元禄14年3月11日、勅使饗応を幕府より仰せ付けられ、吉良義央に教示を受けたが、不親切にされて3月14日午前10時、吉良義央(当時60 歳)を江戸城本丸松の廊下で切りつける。 これにより奥州一関城主田村邸にお預けとなり、同日午後6時、出合の間の庭にて切腹。 長矩の遺体には蒲団がかけられ、泉岳寺に葬送された。 赤穂藩は取りつぶしになる。 忠臣蔵の元となる。 20位 天草四郎 「いま籠城している者たちは来世まで友になる」 11位 上杉鷹山 「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」 13位 柳生宗矩 「こうしようと一筋に思う心こそ人が誰しも抱える病である この病を必ず治そうというこだわりもまた病である 自然体でいること それが剣の道にかなう本当にこの病を治すということなのである」 【契沖】(1701年没、享年61歳) (解説) 江戸時代の古典学者、歌人。 13歳で高野山に登り剃髪。 40代頃から古典研究を始め、「万葉集代匠記」を完成させる。 元禄14年1月、病床にあった契沖が、弟子の質問に答えて述べた言葉は「心平等といえども事に差別あり。 差別の中心はまさに平等たるべし」。 【乞食女】(1672年没) 「ながらえば ありつる程の 浮世ぞと 思えば残る 言の葉もなし」 (解説) 寛文12年4月、京都三条橋の下で20歳あまりの乞食女の遺体が発見された。 死因は自害で、かたらわには辞世の句が残されていた。 これが都で評判となり、ある貴族もこれに対して歌を詠んだ。 「言の葉は 長し短し 身のほどを 思えば濡るる 袖の白妙」(新著聞集) 【大石内蔵助良雄】(1703年没、享年44歳) 「あら楽し 思いは晴るる 身は捨る 浮世の月に かかる雲なし」 (解説) 江戸時代の浅野長矩の家老。 赤穂浪士の頭領。 通称、内蔵助。 兵学を山鹿素行に学ぶ。 元禄14年(1701)3月、主君長矩が吉良義央刃傷のため切腹。 翌年12月、同志と共に夜吉良邸に討ち入り、明くる年の2月4日切腹。 忠臣蔵の主人公のモデル。 【近松門左衛門】 「残れるとは 思ふも愚か 埋め火の 消(け)ぬ間仇なる 朽木書きして」 「それ辞世 さる程さても その後に 残る桜の 花し匂はば」 【 井原西鶴】(1693年没、享年52歳) 「人間五十年の究まり、それさえ我にはあまりたるに ましてや 浮世の月見過ごしにけり末二年」 (解説) 戯作者。 大坂で俳諧を学び談林派の第一人者になるが、41歳の時、浮世草紙の作者となりもてはやされる。 作品に『好色一代男』、『日本永代蔵』などがある。 元禄6年8月大坂で死亡。 その年の冬、門人の北条団水が西鶴の遺稿『西鶴置土産』を刊行し、その巻頭に西鶴の辞世の句と7句の追善発句を載せている。 【小林一茶】 「ああままよ 生きても亀の百分の一」 【松尾芭蕉】(1694年没、享年50歳) 「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」 「この道やゆく人なしに秋の暮れ」(亡くなる一ヶ月余り前の句) (解説) 俳人。 伊賀の生まれ。 京都に行き北村季吟に入門して俳諧、和歌を学ぶ。 天和5年、江戸深川に居を定め、剃髪して俳諧の研究に努める。 諸国を遍遊して、元禄7年10月大坂の旅宿にて没する。 有名な「奥の細道」は元禄2年の作である。 【貝原益軒】(1714年没、享年84歳) 「越し方は一夜ばかりの心地して 八十路あまりの夢を見しかな」 (解説) 黒田藩の儒者。 有名な『養生訓』を著し、それを地で行った。 長崎で医学を修め、明暦1年(1655)江戸に出て、翌年より黒田藩の藩医となる。 35歳で福岡に帰り、それから50年の間に247巻の著作を残した。 【英一蝶】(1724年没、享年72歳) 「まぎらかす浮世の業の色どりも ありとや月の薄墨の空」 (解説) 画家。 狩野安信に学び人物・花鳥にすぐれ、やがて独自の軽妙洒脱な画風を創始。 和歌・発句もよくした。 元禄11年、幕府の忌諱に触れ三宅島に遠島、赦免後、英一蝶と改名。 【香川玄悦】(1777年没、享年88歳) 「仏神の恵みに叶う我が流儀 末世の人を救いたまへや」 (解説) 産科医。 鍼灸が得意で、独学で産科を修得し、香川流の産科の名を高めた。 自ら「医は仁術」を実践した。 【柄井川柳】(1790年没、享年73歳) 「木枯しや跡で芽をふけ川柳」(墓に彫られた辞世の句) (解説) 川柳の点者(判定者)。 川柳という言葉はこの人の名前から来ている。 宝暦7年(1757)柄井は句を募集し、これが当たり5年後には応募句が1万句を越す。 これをまとめたものが『柳多留』として出版される。 【木内石亭】(1808年没) 「大名窮屈、公家貧乏、坊主うそつき、禰宜さみし 阿? ノク 多羅三? ミャク 三菩提の仏達 なさしめ給え金持ちの子に」(今昔狂歌叢書) (解説) 江戸時代の鉱物学者、奇石収集家。 諸国より珍しい石を集めてコレクションする。 著書に「雲根志」がある。 【十返舎一九】 「この世をば どりゃお暇に せん香の 煙とともに ハイ(灰)左様なら」 【式亭三馬】 「善もせず 悪も作らず 死ぬる身は 地蔵笑はず 閻魔叱らず」 【葛飾北斎】 「人魂で 行く気散じや 夏の原」 (解説) 北斎は赤富士などで名高い浮世絵師で、92歳まで生き、大変なエネルギーで大きな業績を残しました。 【柳亭種彦】 「我も秋 六十帖の 名残かな」 【司馬江漢】(1818年没、享年71歳) 「江漢が年が寄ったで死ぬるなり 浮世に残す浮絵一枚」 (解説) 洋風画家。 江戸の人。 初め鈴木春信に浮世絵を学んだが写生画に転じ、平賀源内と交わり、独自の銅版画法を創製。 さらにオランダ人に学んで油絵で風景画を描く。 66歳の時に自分の死亡広告をチラシに書いて配った。 【太田南畝】(1823年没、75歳) 「ほととぎす鳴きつるかた身初がつお 春と夏との入相のかね」 「これまでは 他人事だと思うたに今度は俺か これはめいわく」 「生き過ぎて 七十五年 喰ひつぶす 限り知られぬ 天地(あまつち)の恩」 (解説) 文人、狂詩作家。 号は屬山人。 19歳で平賀源内に認められる。 「江戸時代3百年を通して南畝ほど一般庶民から親しまれ、かつ慕われた人物はいなかった」(森銑三)。 【平田篤胤】(1843年没、67歳) 「思う事の一つも神に勤めをへず けふや罷るかあたらこの世を」 (解説) 国学者。 寛政7年(1795)脱藩して秋田より江戸に出て学業に努め、のちに松山藩士平田篤隠の養子となる。 1803年、本居春庭に入門して国学に志す。 晩年はその尊皇思想が災いして、幕府から江戸退去命令を受け、死の2年前に秋田に戻る。 【滝沢馬琴】(1848年没、享年82歳) 「世の中の 役をのがれて またもとに 還るは天と 土の人形」 (解説) 「南総里見八犬伝」の作者。 この作品の初編は48歳の時に発表され、完成まで28年が費やされる。 その間、68歳で右目を、74歳に左目も失明した。 そこで息子の嫁に文字を教え口述して原稿を書き取らせた。 【安藤広重】(1858年没、享年61歳) 「東路に筆を残して旅の空 西のみくにの名所を見む」 「死んでゆく地獄の沙汰はともかくもあとの始末が金次第なれ」 (解説) 江戸末期の浮世絵師。 風景版画の連作に名をなし、また花鳥画にも新境地を開いた。 作は「東海道53次」「江戸名所百景」など。 【林子平】 「親もなし妻なし子なし板木なし金もなければ死にたくもなし」 【世捨て人(年代不明)】 「呉くれぬ憂さ嬉しさも果てぬれば おなじ裸のものの身にこそ」 (解説) 「歌俳百人撰」の話。 京都誓願寺の門前に朝夕寝起きしていた非人(世捨て人)がいた。 歳は40歳くらいで、その言動から、大変に由緒ある者のなれの果てのようであった。 その者が傷寒(急性疾患)を患い死亡し、男の残した菰の中に辞世の句が残されていた。 【平野国臣】 「憂国十年、東走西馳、成否は天に在り、魂魄地に帰る」 【河上彦斎】(享年38歳) 「君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん」 「たとひ身は 夷の国に 朽ちぬとも わが美よしのの 花は忘れじ」 「火もて焼き 水もて消せど 変わらぬは 我敷島の 大和魂」 (解説) 佐久間象山を暗殺するなどして「人斬り彦斎」と呼ばれた。 維新後は有終館を設立。 反体制的な行動を起し、逮捕され、処刑される。 【佐久間象山】 「時にあはば散るもめでたし山桜、めづるは花の盛りのみかは」 「昨日今日明日と移ろう世の人の心に似たるあじさいの花」(辞世句ではない) 【吉田松陰】(〜1859年、享年30歳) 「これほどに思い定めし 出立を けふ聞くこそ うれしかる」 「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置(とどめおか)まし 大和魂」 (解説) 安政6年(1859)時の松陰処刑に際しての辞世で、門下生に宛てた辞世の句。 未曾有の大事に当面してひたむきに国事へと全身を傾けていった幕末の志士たちを代表する志の歌でもあると思う。 ほとんどが二十歳代の彼等で国を動かしたことを驚異に思う。 「留魂緑」 「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」 (解説) 肉親に宛てた辞世の句。 【吉田稔麿】 「結びても また結びても 黒髪の乱れ そめにし世を いかにせん」 「死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業(たいぎょう)の見込みあらばいつでも生くべし」 (解説) 長州の幕末志士。 被差別部落からなる軍隊を結成するなど活躍。 池田屋で新撰組に殺される。 【高杉晋作】 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 (解説) 幕末長州の志士。 奇兵隊の創始者。 長州の藩論を倒幕に持ち込んだ。 志半ばにして病死。 辞世は上の句で絶句した・・・が、この辞世の句に野村望東尼が「すみなすものは 心なりけり」と下の句を続けたそうです。 【河上弥市】(享年22歳) 「議論より 実を行へ なまけ武士 国の大事ょ よそにみる馬鹿」 (解説) 幕末長州の志士。 高杉の代わりに奇兵隊の総管となる。 七卿落ちの一人、沢宣嘉を担ぎ、自刃。 【国司信濃】 「よしやよし 世を去るとても 我が心 皇国のために 猶つくばさや」 【武市瑞山】 「ふたたひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり」 (解説) 土佐勤皇党の指導者。 勝海舟の護衛をしたエピソードがあるのが有名 【月性】 「大君のためには 何かをしからん 薩摩の迫門に 身は沈むとも」 (解説) 幕末の僧。 早くから海防必要論を説き、多くの志士と関わった。 安政の大獄時、西郷隆盛と共に薩摩の錦江湾に身を投げた。 西郷は助かった。 【武田耕雲斎】 「咲く梅の花は はかなく散るとても 香りは君が袖にうつらん」 (解説) 幕末の水戸の尊王攘夷のイデオローグにして、天狗党の首領。 斬首された。 【神保長輝】 「 帰りこん 時ぞと母の 待ちしころ はかなきたより 聞くべかりけり」 (解説) 幕末会津の人。 神保修理の通称。 京へ軍事奉行添役として従事。 鳥羽伏見の敗戦の責任を負い君命により切腹。 【堀 光器】 「 神かけて 誓ひしことの かなはずば ふたたび家路 思はざりけり」 (解説) 幕末会津の人。 通称粂之助。 君命により米沢へ援軍を請いにいくが応えられず自刃した。 【内藤信順】 「 世の中は 時雨となりて きのふ今日 ふみとどむべき 言の葉もなし」 (解説) 幕末会津の人。 戊辰戦争の際、菩提寺のある面川村泰雲寺にて信順をはじめとする一族十三人が自刃した。 【武川信臣】 「 世にしばし 赤き心は みすてども 散るにはもろき 風のもみぢ葉」 (解説) 幕末会津の人 内藤信順の三男。 彰義隊にまじり上野戦争に参加するが捕虜となる。 拷問の末、斬首される。 【西郷頼母】 「 あいつねの おちこち人に 知らせてよ 保科近悳 けふしぬるなり」 (解説) 幕末会津藩の家老。 松平容保の京都守護職に反対する。 戊辰戦争では一族全滅の憂き目にあう。 【但木土佐】 「 雲水の 行方はいづこ むさし野を ただ吹く風に まかせたらなん」 (解説) 幕末仙台藩の人物。 但木土佐は幕末仙台藩における藩政の最高責任者でした。 戦争の責任者として明治2年5月19日東京は麻布にあった仙台屋敷にて処刑されてました。 【坂 英力】 「うきくもを 払ひかねたる 秋風の 今は我か身に しみぞ残れる」 「国のため すつる命の かひあらば 身はよこしまの 罪に朽つとも」 「危うきを 見すてぬ道の いまここに ありてふみゆく 身こそ安けれ」 (解説) 幕末仙台藩の人物。 但木土佐が政務を担当するかたわら坂英力は軍務を担当していました。 常に前線にあって奥羽越列藩同盟を指揮していましたが、藩の降伏後責任を負い但木土佐とともに処刑されました。 二人とも切腹ではなく斬首されています。 また但木土佐は七峰樵夫、坂英力は黄海漁夫と号しています。 この名は明治22年に憲法発布の大赦の折りまで墓に刻まれていた名前でもあります。 現在残っている墓石は明治22年に建立されたもので東京高輪東禅寺にありましたが、現在はそれぞれの故郷の菩提寺にあります。 【川路聖謹】 「天津風に 背くもよかり 蕨(わらび)つみ 飢えにし人の 昔思へは」 (解説) 幕末の幕臣。 日露和親条約の締結に関与。 1868年、江戸無血開城を知り、割腹、ピストル自殺を図る。 【清河八郎】 「さきがけて 又さきがけん 死出の山 迷いはせじ 皇(すめらぎ)の道」 (解説) 幕末の運動家。 上洛して浪士組を結成したが、それを朝廷に売ろうとして失敗。 【芹沢鴨】 「雪霜に 色よく花の 咲きがけて 散りても後に 匂ふ梅が香」 (解説) 新撰組の初期の局長の一人。 土方歳三らに暗殺される。 【近藤勇】 「 孤軍 援 (たす) け絶えて俘囚(ふしゅう)となり。 君恩を顧念して 涙 更 (また) 流る。 一片の丹衷 (たんちゅう) よく節に殉じ、雎陽 (すいよう) は千古 これわが儔 (ともがら)。 他に靡 (なび)きて今日また何をか言はむ。 義を取り生を捨つるは わが尊ぶところ。 快く受くん 電光三尺の剣 ただ まさに一死をもって君恩に報いむ」 (解説) 最後は一人で斬首された新選組局長の辞世の句です。 いかにも実直な彼らしく、最後ま徳川家に対するで君恩を忘れないとしているのが哀れにも思えます。 ちなみに句の中に出てくる雎陽とは安禄山と戦った張巡の籠もった城。 幕末に流行していた「正気の歌」にこの故事が引かれているそうです。 【沖田総司】 「動かねば 闇にへだつや 花と水」 (解説) 新撰組一番隊隊長。 幕府瓦解後、江戸に引き上げたおりに病状が悪化。 闘病生活後に死亡。 【土方歳三】 「たとひ身は 蝦夷の島根に 朽つるとも 魂は東の君やまもらむ」 (解説) 幕末時の新撰組の副長。 戊辰戦争に於いて北海道まで行き、闘い、倒れる。 【山岡鉄舟】(1888年没、享年53歳) 「腹痛や苦しきなかに明けがらす」。 (解説) 江戸時代末期の幕臣。 慶応4年江戸城開城に貢献。 130キロ離れた三島の龍沢寺に参禅するため、夜間の間に往復したしたという豪傑。 明治22年7月、2年前からの胃の病が悪化して、坐禅を組んだまま往生をとげる。 辞世の句は、いかにも江戸っ子らしい句です。 腹の痛みに耐えて夜明けを迎えた心境を詠ったそうです。 ちなみに臨終の時に見舞いに来ていた三遊亭円朝に一席喋ってもらい、それを聞きながら往生したそうです。 【江藤新平】(享年41歳) 「ますらをの 涙を袖に しぼりつつ 迷ふ心は 君のため」 「ただ皇天后土(こうてんこうど)の わが心を知るのみ」 (解説) 幕末佐賀藩の志士で、維新以降は政府の高官を歴任するも、佐賀の反乱の首謀者として捕まり処刑された英傑。 皇天は天の神の支配するところ、皇土は地の神の支配する土地のことだそうです。 【】あかいかげあき、1859.9.25日〜1885.7.27日) 「青葉にて散るともよしや楓葉の あかき心は知る人ぞ知る」 「さてもさて浮世の中を秋の空 なき友数に入るそうれしき」(実弟新村金十郎に対して贈った血書の辞世の句) (解説)上越地方を代表する急進的青年民権家。 明治16 1883 年の高田事件で唯一実刑判決を受け収監し、その後脱獄、人力車夫殺害で18年7月27日死刑に処せられた。 【乃木希典】 「うつし世を 神さりましし 大君の 御(み)あと慕(した)ひて 我はゆくなり」 (解説) 明治の軍人。 日露戦争において二百三高地攻防などを指揮する。 明治天皇崩御に際し、殉死する 【山本五十六】 「弓矢取る国に生まれし益良雄の 名をあらはさむときはこのとき」 「百年兵を養うはただ平和を守るためである」 【正岡子規】 「糸瓜咲て痰のつまりし仏哉 痰一斗糸瓜の水も間にあはず をとヽひの糸瓜の水も取らざりき」 【有島武郎】 「愛の前に死がかくまでも無力なものだったとは この瞬間までは思はなかった」 (解説) 情死したときに残した遺書の一説。 【芥川龍之介】 「水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る」 (解説) 自殺直前に書いた色紙の一句。 【前田夕暮】 「雪の上に 春の木の花 散り匂ふ すがしさにあらむ わが死顔は」 【高村光太郎】 「一生を棒に振りし男 此処に眠る。 彼は無価値に生きたり」 【甘粕正彦】 「大ばくち、もとも子もなく、すってんてん」 (解説) 満州映画協会理事長 【戦艦大和の海軍士官】 「日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」 10位 白洲次郎 「われわれは戦争に負けたのであって奴隷になったわけではない」 7位 杉原千畝 「私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった 大したことをしたわけではない 当然のことをしただけです」 【三島由紀夫】 「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」 「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へし 今日の初霜」 (解説) 割腹自殺する前日に書いた辞世の句だそうです。 勇ましいけど、なんか先人の辞世の句の本歌取りみたいな気がします。 【三波春夫】 「逝く空に桜の花があれば佳(よ)し」• 三遊亭一朝 あの世にも粋な年増はいるかしらん• 辞世の句 女性句 【和泉式部】 「生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける」 【】 「九重の花の都に住みはせて、はかなやわれは三重にかくるる」 (解説) 平安時代の女流歌人。 【桂林院】(けいりんいん、1564〜1582年没、享年19歳) 「黒髪のみだれたる世ぞはてしなき 思いにきえる玉の露の緒」 (解説) 田原北條氏政の妹で武田勝頼側室夫人。 勝頼と共に運命を共にするこれは死ぬ直前に、実家小田原北條に送ったもの。 【お市の方】 おいちのかた、? 〜1583 「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 別れをさそふ郭公 ほととぎす かな」 (解説) 織田信長の妹。 運命に翻弄された女性。 勝家の夫人として、北の地に消ゆ。 【細川ガラシャ】 ほそかわ がらしゃ、1563〜1600 「ちりぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」 「露をなど あだなるものと 思ひけん わが身も草に 置かぬばかりを」 (解説) 明智光秀の娘で細川忠興に嫁ぐ。 関ヶ原の際に自害する。 細川忠興といえば、関が原の戦いでは徳川家康の東軍についた。 西軍の石田三成は、大名が東軍につくのを阻止するために、彼らの家族を人質にとろうとした。 忠興が家康に従軍して会津へ攻め上っている間に、ガラシャのもとにも三成の魔の手が迫っていた。 それを百も承知の忠興は、「何があっても三成の人質にはなるな」と因果を含めて出陣する。 つまり、人質になるくないなら死ね、というわけだ。 しかしガラシャはキリシタン、キリスト教において、自殺は神に対する最大の犯罪である。 ガラシャは屋敷に火を放ち、家臣の介錯によって37年の生涯を閉じた。 【一の台】 「つまゆへに くもらぬ空に 雨ふりて 白川くさの 露ときえけり」 (解説) 豊臣秀次の正室。 秀次失脚によって、一族処刑に遭う。 【加賀千代】(1775年没、享年73歳) 「月も見てわれはこの世をかしくかな」 (解説) 俳人。 表具師の娘で、18の時金沢の同業のもとに嫁ぐ。 25の時に夫に死別し、剃髪して素園と号す。 彼女は人に「炎天に火をふきそうな鬼がわら」と詠まれたが、実際は小柄な美人だったという。 【太田垣蓮月】(1875年没、享年85歳) 「願わくば のちの蓮(はちす)の 花のうえに くもらぬ月を みるよしもがな」 (解説) 幕末の女流歌人。 33歳で二度目の夫に先立たれ、剃髪して蓮月尼と称した。 父の死後陶器を作り、自詠を入れたものが「蓮月焼」として人気を博したため、金銭には困らず、飢饉などには、奉行所に匿名で寄付をしている。 明治8年12月死亡。 遺体は遺言通り、普段米びつに使っていた棺桶に納められ、西芳寺(京都)に埋葬された。 【西郷律子】 「秋霜飛んで金風冷たく 白雲去って月輪高し」 (解説) 幕末会津藩の女性。 西郷頼母の母。 戊辰戦争で会津藩が攻められたときに自害したときの辞世の句。 【西郷千重子】 「なよ竹の 風にまかする 身ながらも 撓(たゆ)まぬ節の ありとこそきけ」 (解説) 幕末会津藩の女性。 西郷頼母の妻。 会津落城にあって自決する。 【西郷眉寿子】(享年23歳) 「死にかへり 幾度び世に 生るとも ますら武夫と なりなんものを」 (解説) 幕末会津藩の女性。 西郷頼母の妹。 【西郷由布子】 「武士の 道と聞きしを たよりにて 思ひたちぬる よみの旅かな」 【西郷瀑布子】(享年13歳) 「手をとりて ともに行きなば 迷はじよ いざたどらまじ 死出の山みち」 (解説) 幕末会津藩の女性。 西郷頼母の次女。 下の句は、姉細布子が付け加えた。 【中島竹子】(享年22歳) 「武士(もののふ)の 猛き心に くらぶれば 数にも入らぬ 我が身ながらも」 (解説) 幕末会津藩の娘子隊。 会津戦争の悲劇は、少年少女に及んでます。 その悲しさはいまも伝わっています。 戊辰戦争の会津藩にあって、女ながらに戦った中島竹子の辞世の句です。 薙刀にこの句をしたためた短冊をつけて戦い、敵弾に当たっために妹に介錯してもらい死んだそうです。 【山川唐衣】 「我ながら 何に名残を 惜しむらむ 思ひおくべき こともなき世に」 (解説) 幕末会津の女性。 山川浩、山川健次郎、山川捨松の母。 歌人として有名であった西郷近登之の長女。 【乃木静子】 「出でまして かへります日の なしときくけふのみゆきに 逢ふぞかなしき」 (解説) 明治の女性。 希典の妻で夫とともに殉死する。 【樋口一葉】 「皆様が野辺をそぞろ歩いておいでのときには、蝶にでもなって、お袖のあたりにたわむれ、まつわりましょう」 【川島芳子】 「家あれども帰るを得ず、涙あれども泣く所を得ず」 諸葛孔明 「学問は静から 才能は学から生まれる 学ぶことで才能は開花する 志がなければ学問の完成はない」• ベートーベン友よ、拍手を!喜劇は終わった。 フランソワ・ラブレー幕を引け。 喜劇は終わった。 わしはこれから、偉大なる"もしかしたら"を捜しに出かける。 14位 劉玄徳 「大事をなすにはなによりも人をもって本(もと)となす 今 自分をしたってきてくれている人々をむざむざと見捨てて行けるか」 私論.私見 【「」より、水戸天狗党時世の句】 朝倉源太郎 赤き我が心は 誰も白露の消にし後ぞ 人や知るらん 朝倉三四郎 四方八方に 薫りや充たん 下野の 太平山の 山櫻かな 伊藤益荒 春雨に みの覆うべき方もなく 今は笠間の 露と消ゆらむ 梅村晋一郎 古の 風に為してよ 大御稜威 振いて今の 乱れたる世を 大谷包太郎 国の為め 思ひ舍(すて)にし 今日の身を 我たらちねは 知らすやあるらん 鹿島茂平 大君の 大みこころを 安めんと 数ならぬ身を 忘れてぞ思ふ 川俣茂七郎 みちのくの 木の間がくれの山櫻 ちりてぞ人や 夫と知るらん 國分新太郎 原と萬死を期す 復た何ぞ悲しまん、只だ恨む 神兵未だ夷を掃はず、魂魄帰らず天と地とに、七たび此世に生れて 皇基を護らん 下野廉三郎 国の為め あはれ木の葉の 軽き身を 君に捧けて ゆく旅路かな 瀧川平太郎 梅鉢の 花の匂ひにおかされて 我が身の散るを 知らぬつたなさ 武田魁介 咲初めて 風に散りなん桜花 散ての後に 知る人は知れ 武田耕雲斎 討つもはた 討るるもはた哀れなり 同し日本(やまと)のみたれと思へは 田中愿蔵 霜にそむ 樹々の紅葉の錦より いと珍しき 谷の松が枝 みちのくの 山路に骨は朽ちるとも 猶も護らむ 九重の里 土田衛平 白露の 霜とかはれる今ははや 君が衣 手薄くなるらん いにしへも 斯かるためしを 菊水の 流れ汲む 身となるぞ嬉しき 直本東平 降雪(ふるゆき)に 何れを花と白梅の 薫れる色の なつかしきかな 長谷川通之介 丈夫の つる張りこめし 梓弓 引つめてこそ など撓むべき 檜山三之介 来るつはめ 帰る雁 わするなよ 又めくり逢ふ 春もなき身を 平野重三郎 つくしても 甲斐なき身を玉櫛笥(たまくしげ) 二荒の神の いかに見るらん 藤田小四郎 かねてより 思ひ染にし 言の葉を 今日大君に 告て嬉しき 藤田秀五郎 義を論して 未だ死と生とを論せず、磨き成す 報國尽忠の誠、平生記し識す 尊親の誡め、芳名を留取するは 此行に在り 藤原重友 魁の花は 嵐に散にけり 風にあふべき 枝ならなくに 昌木春雄 転びても 弓矢はすてぬ 案山子哉 山国兵部 行さきは 冥土の鬼と 一勝負 八木橋誠之進 惜まるる 時ぞ違(たが)はぬ武士(もののふ)の 潔よく行く 死出の山道 米川久蔵 たとひ身は 敦賀の里にさらすとも なとか絶ゆへき 武士(もののふ)の道 米川米吉 皇國(すめらぎ)の 御為めと思へはたちたたぬ 勲(いさほ)は問はん 日本魂(やまとだましひ) 【「」より、 大発勢時世の句 】 浅田忠之進 なきあとに 誰か見るらむ 濁江(にごりえ)の 遂に澄むへき 時なからめや 天野朔之介 朽もせし 色も変らし 武士(もののふ)の 道に染たる 赤き心は 有賀半蔵 事しあらは 火にも水にも入はや と思ひ定めし 身は君の為 飯田忠四郎 君か為 思ふ心をます鏡 何か曇らむ 後の世まてに 飯村辰五郎 古郷を思ふは 旅の常なれど 國の為には名こそおしけれ 江橋五衛門 今日までは 盛の花と思へとも 明日の嵐は 知らぬ世の中 大内誠蔵 君かため 國のためにと 盡(つく)し来し 身のいかなれは 仇となりけむ 大賀甚蔵 君のため 盡(つく)せる臣の 眞心を こは誰人の へたてなるらん 大津主殿 渡り来し 加茂の川浪 思立つ 心は朽ちし 後の世まてに 大森道義 淡雪と 共に消行く 老の身に 君が八千代を 祈らるるかな 大山又三郎 いさぎよく 散るへかりける 世の人に 惜まれてこそ 花にさりけれ 岡田捐蔵 大丈夫(ますらを)の 伴うちつれて 君か為 はかなく越ゆる 死出の山路 岡部藤介 せめてはと 思ひなからの橋柱渡(はしばしわた)りも あへす朽果むとは 岡見徳三 朝顔の 日影まつまの 露なれは 心と堕て 玉と砕けむ 岡見留二郎 世の中の 憂(うき)をは舍(す)て いささらは 死出の山路の 花をなかめん 興野介九郎 一人ゆく 死出の旅路の 露けさを 哀といはん 人たにもなし 小山田任之介 たとへ身は 今此里にうつむとも なに撓(たゆ)むへき 日本魂(やまとだましひ) 柿栖次郎衛門 今更に 何か惜まん 兼てより 我身なりとは 思はさりしを 樫村雄之允 秋の野の 露と吾身はきえぬとも 増荒武男(まらたけを)の名をは汚さし 倉次金次郎 徒(いたづら)になりし 思の悲しさを 誰てふ人に かくと語らむ 栗田八郎兵衛 我仰く 君が御影のうつつには あはれ見ぬ夜の 夢となりにき 齋藤好次郎 秩父山 吹おろす風の烈しさに 散るは紅葉と 吾となりけり 齋藤左右吉 秋の野の 花に結へる 露の身の 赤き心を 世にや留めん 榊原新左衛門 君がため 思へは斯くも 鳴海潟時雨に しほる袖の露けき 太宰清衛門 武士(もののふ)の 道は違(たが)はし 何(い)つの世に 何(いづ)くの野辺の 露と消ゆとも 舘鐵太郎 数ならぬ 身にはあれとも國のため 盡(つく)す心は 神や知らさむ 立花辰之介 君かため 死ぬる吾こそ嬉しけれ 名も立花の 世に薫らまし 谷鉄蔵 人々と 契りしことは 渝らしな 死出の山路の今日の魁 床井庄三 玉の緒は たゆともいかて忘るへき 代々に餘れる 君か恵を 富田三保之介 曇りなき 神の社の増鏡よしも 悪きも照してそ知る 那須寅三 今はとて 死出の山路を急く身に 思(おもひ)おかるる君か御代哉 成瀬廣之介 國の為 越えなぬ人に先立て 死出の山路を われふみわけむ 成瀬與衛門 君か為 誓ひし人に先立て 迷ふ旅路に 今やいてまし 沼田久次郎 一筋に 張りし心は梓弓 なに弛ふへき 苔の下まで 野上大内蔵 ゆくききは いつれ野末の ひとつ石 野崎留之介 まが罪に 沈み果とも二つなき 我眞心は 神そ知るらん 萩谷平八 見よや人 見よや心の 花の露にかかる涙も 皆國のため 塙又三郎 勇ましく 散へかりけり 世の人に 惜まれてこそ 櫻なりけり 林忠左衛門 今日迄も 誰が為なれば 長らへて 憂き身にうきを 重ねきつらむ 肥田金蔵 哀れとも いはむかたなき 賎(しづ)か身は 花よりもろき朝顔の露 平方金五郎 後れしと 心に思ひしか ひありて死出の山路の 今日の前かけ 福地勝衛門 君かため 盡(つく)す心のます鏡 くもらぬ御代の 光りとやせむ 堀川元了 身は此に 朽果(くちはつ)ぬとも 皇國(すめらぎ)を あら人神と なりて護らむ 松平頼徳 思ひきや 野田の案山子の竹の弓 引きもはなたで 朽果てんとは 水野哲太郎 草の葉にをく露よりも 脆き身の君が千歳を 祝ふはかなさ 三木孫太夫 吹(ふき)かはる 風の心の烈しさを 人に知らせて 散る櫻かな 武藤善吉 世の様(さま)を みをやの君に申さんと 今日急かるる 死出の山路 森三四郎 つらしとし 憂(うき)しともいはて國のため 消えなぬ時を 松の下露 安蔵源二郎 生替り 死替りても國の仇 討(あだうた)すは止まし 日本魂(やまとだましひ) 吉田於莵三郎 神のます 高天の原に いさ行て 常磐堅磐(ときわかたわ)に 君を守らん 【「」より、 水戸天狗党が敦賀幽囚中に詠んだ句 】 大和田外記 二兄國に循し親は縛(ばく)に就く、二弟今日梵中に屈す、楊柳知らず別に恨あり、依々として猶ほ自から春風に媚ぶ 瀧川平太郎 夷(えみす)うつ 功もとげず 徒(いたづ)らに 送る月日の かし惜しと思ふ 敷島の大和心を盡(つく)しても 仇となる世を いかにしてまし 雲の上の 人に見せばや 春雨につる 賀羽衣ぬれし姿を 賎が夫の 柴刈鎌のつかの間も 大和魂みがく友人 武田魁介 獨り高樓に上って八都を望む、黒雲散し盡(つく)して月輪孤なり、茫々たる宇宙人無数、幾箇の男児是れ丈夫 武田耕雲斎 丹心憂國の士、断髪夷風を学ぶ、此意若し人問はば、剣を按して碧空を望む 武田彦衛門 嘗(かつ)て聞く蠻夷我彊(ばんいわがけふ)を窺ふ、書生豈(あ)に徒に文章を事とせん、孤燈(ことう)影暗くして人眠る後、獨り拭ふ腰間(えんかん)三尺の霜 藤田小四郎 尊皇攘夷萬天を貫く、國家を安ぜんと欲して眠る能はず、聞説世人忽(たちま)ち恐怖す、奸を屠る只是れ節々の鞭 【「」より、 大発勢が幽囚中に詠んだ句 】 伊藤田宮 先立て 露と消えにし人の身を 思へはやすき 草枕哉 大窪又一郎 何事もいはての森の下紅葉 赤き心は 人やしるらん 梶清次衛門 いささらは 涙くらへむ子規(ほととぎす) 我も浮世に 鳴かぬ日そなき 加藤忠五郎 かねてより かくとは知りつ 國のため 今更いかで 身を惜むべき 木村圓次郎 春たては いとと思ひの増鏡 世の花鳥の 面影もかな 榊忠兵衛 富士の嶺の 雪さへとくる時もあれは 世の浮雲のはれすやはあらぬ 下野隼二郎 梅の花 咲ける軒端は変れとも 色香は共に 雪をしのかむ 永井量蔵 月影は 昔なからのものなれと 吾身の上は 照らさざりけり 根本清一 あはれ身は 行方しら浪こく船の はてむ湊も なくなりにけり 平戸喜太郎 玉鉾の 直(すぐ)なる道を一筋に ふみな違(まよ)へそ 大丈夫(ますらを)の友 福地政次郎 東路の 我ふる里に茜さす 日和の山は 忘るまそなき 眞木彦之進 去年(こぞ)の冬 刀根の川路をさまよひて 今日は如何なる 旅やするらむ 増子謙蔵 怨みても 甲斐やなからぬ 山風に 吹れておつる 木々のもみち葉 師岡亀之介 異國にたくひもあらぬ櫻こそ 我日の本の匂ひなりけれ 門奈三衛門 便りなき 身のうき舟に山櫻 ちりくる花の 心ゆかしも.

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收集的一些东西(二)

限り あれ ば 吹 かね ど 花 は 散る もの を 心 短 き 春の 山風

黒川隆像 梦亦是梦、空犹是空、不来不去 端的の中に在り 黒田孝高 おもひおく言の叶なくてつひに行く 道はまよはじなるにまかせて 斎藤道三 舍ててだにこの世のほかはなき物を いづくかついのすみかなりけん 斎藤利三 消えてゆく露のいのちは短夜の あすをも待たず日の冈の峰 佐久间盛政 世の中を廻りも果てぬ小车は 火宅の门を出づるなりけり 佐佐成政 この顷の厄妄想を入れ置きし 鉄钵袋今破るなり 岛津忠良 急ぐなよまた留るなわが心 定まる风の吹かぬ限りは 岛津歳久 晴蓑めかたまのありかを人とは々 いさ白云の上もしられず 岛津义弘 春秋の花も红叶もとどまらず 人も空しき関路なりけり 少弐政资 花ぞ散る思へば风の科ならず 时至りぬる春の夕暮 善しやただみだせる人のとがにあらじ 时至れると思ひけるかな 诹访頼重 おのづから枯れ果てにけり草の叶の 主あらばこそ又も结ばめ 柴田胜家 夏の夜の梦路はかなきあとの名を 云井にあげよ山ほととぎす 清水宗治 浮世をば今こそ渡れ武士の 名を高松の苔にのこして 陶晴贤 何を惜しみ何を恨みん元よりも この有様の定まれる身に 高桥镇种 流れての末の世远く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水 尸をば岩屋の苔に埋みてぞ 云井の空に名をとどむべき 立花道雪 异方に心ひくなよ豊国の 鉄の弓末に世はなりぬとも 武田胜頼 胧なる月もほのかにくもかすみ 晴れて行くへの西の山の端 武田信玄 大ていは地に任せて肌骨好し 红粉を涂らず 自ら风流 伊达政宗 昙りなき心の月を先だてて 浮世の暗を照してぞ行く 豊臣秀吉 つゆとをちつゆときへにしわがみかな 难波の事もゆめの又ゆめ 豊臣秀次 月花を心のままに见つくしぬ なにか浮き世に思ひ残さむ 鸟居强右卫门 わが君の命にかわる玉の绪を 何いとひけん武士の道 平冢为広 君がためすつる命は惜しからじ つひにとまらぬ浮世と思へば 别所长治 いまはただ恨みも有らず诸人の 命に代はる我身と思へば 北条氏政 雨云のおほへる月も胸の雾も はらひにけりな秋の夕风 三浦义同 〖道寸〗 打つ者も讨たれる者も土器(かわらけ)よ 砕けてあとはもとの土くれ 三浦义意 君が代は千代に八千代もよしやただ うつつのうちの梦のたはぶれ うつつとも梦とも知らぬ一睡り 浮世の隙をあけぼのの空 三原绍心 うつ太刀のかねのひゞきは久かたの 天津空にも闻えあぐべき 三好长治 三好野の梢の雪と散る花を 长治とやは人のいふらむ 三好义贤 草枯らす霜又今朝の日に消えて 报のほどは终にのがれず 长野业盛 春风に梅も桜も散りはてて 名のみ残れる箕轮の山里 二条良豊 秋风や真葛原に吹き荒れて 恨みぞ残る云の上まで 祢宜右信 风荒み迹なき露の草の原 散り残る花もいくほどの世ぞ 别所友之 命をもおしまざりけり梓弓 すゑの世までも名の残れとて 别所治忠 君なくば忧き身の命何かせむ 残りて甲斐の有る世なりとも 北条氏照 天地の清き中より生れきて もとのすみかにかえるべらなり 北条氏政 吹くとふく风な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ 雨云のおほへる月も胸の雾も はらたにけりな秋の夕风 细川高国 絵にうつし石を作りし海山を のちの世までも目かれずや见ん なしといひありと又いふことの叶や 法のまことの心なるらん 细川玉子 ちりぬべき时知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ 右田隆次 末の露本の雫に知るやいかに つひに遅れぬ世の习ひとは 山崎隆方 ありと闻きなしと思うも迷いなり 迷いなければ悟りさえなき 冷泉隆豊 みよやたつ云も烟も中空に さそひし风のすえも残らず 吉弘统幸 明日は谁が 草の尸や照らすらん 石垣原の今日の月影 お市の方 さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 别れをさそふ郭公 ほととぎす かな 千利休 ひっさぐる我が得具足の一つ太刀 今此时ぞ天に抛つ -------------------------------------------------------------- 翻译: 明智光秀 顺逆无二道,大道贯心源, 五十五年梦,醒时归一眠。 足利义辉 梅雨如露亦如泪,杜鹃载吾名至云。 尼子胜久 决断渡都之路差之千里,历经四方终归故乡。 毛利元就 求得知己便如迟开的樱花,尚存有昨日春天的花香。 无夜月入鹫山,令吾名至云高处。 天野隆良 不来不去、无死无生,今日无云万里晴,月上峰顶格外明。 伊香贺隆正 请君见,吾之千年幽思,如那不朽山松永不磨灭。 石川五右卫门 即使是川海滨边细小的沙子,也会被世间的的贼人盗去做巩固种子的土壤。 井伊直政 人的生死存亡之大事,变幻是如此迅速无常。 石田三成 吾身就如筑摩江芦间点点灯火,随之消逝而去。 筑摩江や芦间に灯すかがり火と ともに消えゆく我が身なりけり 上杉谦信 极乐地狱之端必有光明,云雾皆散心中唯有明月。 四十九年繁华一梦,荣花一期酒一盅。 宇喜多秀家 仅与金刚寺的菩萨种的青松作一别。 吉川経家 吾身如同武士所取下的梓弓,一去不复栖处。 大内晴持 此身如云般离开大内,却终化为出云湾的海草屑末。 大内义隆 漂浮无停难留吾名,恨世间春之暗波,终彻悟胜败皆不过朝露电光,一逝即过。 大内义长 怨艾悄然而生,发觉时,化恨成岚已催得花尽散。 大嶋澄月 吾身就似被隐云所暂遮的清月,(至此地步)已放不出一丝光芒。 大嶋照屋 忽见云遮月隐,此思绪甚惜在明之月。 太田道灌 生时未惜命之珍贵,只可惜空空躯壳,不留得半点回忆。 太田隆通 秋风不至深山处,残叶(枫叶)亦终将散去。 大谷吉継 乃注定在此六歧路,恭候迟早将来之日。 冈部隆豊 白露消逝秋名殆去,惟独末松受残风。 冈谷隆秀 此身时去时还,跨清风渡水,唯明月仍在天。 小幡义実 吞宝剑弃名弓,只观得这一阵清风。 垣并房清 莫论胜败功绩,人情皆一时,此地不产一物,惟有山寒海水清。 蒲生氏郷 时之有限花吹散,此心归于春山风。 蒲生大膳 吾持马刀下黄泉(三途川),是深是浅皆不告诉你。 神户信孝 〖织田信孝〗 过去主要在内海海湾等待捷报的羽柴筑前。 『河角摄政记录』版 过去主要在内海海湾在尾张等待的羽柴筑前。 『姓乡记录』,『势州战记』版。 过去主要在内海的野地间等待捷报的羽柴筑前。 『坡之战逸话』版。 黒川隆像 梦亦是梦,空犹是不空中,不去不来,惟在中央。 黒田孝高 不叙往事先去探路(下黄泉),若是往后你迷路了就交给我吧。 斎藤利三 生命短暂的露水来不及等到天明见到明日的山丘,便在这短夜中消逝了。 佐久间盛政 世上永不停止转动的小车,出了火宅的门便完结了。 佐佐成政 把这段时期来的厄妄想都放入铁钵中,现在就破坏它。 岛津忠良 莫急且留吾心啊,吹不去所决定的限度。 岛津歳久 此身掩于蓑衣中,悄然登至白云上。 岛津义弘 春樱秋枫留不住,人去关卡亦成空。 少弐政资 花散非风之罪,乃因春将尽。 终善非人之过,只因时已至。 诹访頼重 悄然尽枯的草叶,赋其灵得又一生。 柴田胜家 夏梦无常一世名,杜鹃凄鸣上云霄。 清水宗治 浮沉乱世身已去,惟有此名留松苔。 陶晴贤 何惜何怨溯本求原,天命注定在此身中。 高桥镇种 滔滔红尘无永生, 门苔沟水掩吾名, 门苔青下埋吾身, 恐怕此名亦传不至云端处了吧。 武田胜頼 月色朦胧云淡霞隐,待放晴时,再去那西山之端吧。。 武田信玄 此身此骨归于天地,不沾红尘,独自风流。 伊达政宗 心中明月当空无丝云,照尽浮屠世间黑暗。 豊臣秀吉 身如朝露,飘渺随梦,大阪叱咤风云,繁华如梦一场。 豊臣秀次 如吾心观不尽花月,于尘世不留半点浮思。 鸟居强右卫门 吾等性命同念珠之绳,乃无与伦比武士之道。 平冢为広 为君辞命再所不惜,留世间思绪不停息。 别所长治 临终无怨亦无恨,仅将吾身代诸君之命。 三浦义同 〖道寸〗 胜兵败将皆如瓦器(素陶),一朝破碎终归尘土。 三浦义意 天皇世世永存,纵然黄梁一梦,是梦是实皆不知,醒来惟见,一隙晨光照尘世。 三原绍心 挥手中太刀,余音缭绕久久不息,必能传至天之顶端。 三好义贤 枯草上的霜雪随着早晨的阳光消失了,吾命也如此终究逃不过报应啊。 长野业盛 春风吹得樱梅散尽,惟留吾名至箕轮山中。 二条良豊 秋风咆哮狂扫真葛原,吾留怨恨直上云霄。 祢宜右信 狂风过后的平原,残印点点见草上露水,尚未凋谢的花(如同这乱世)也来日不长了。 别所友之 一生寄命于梓弓,一无所有名留世。 别所治忠 君已不在,吾这满负伤愁之身也无意义留此世上了。 北条氏照 生于天地之清澈,归于本愿之清澄。 北条氏政 正是有了枫叶残留的秋天, 才会有怨恨秋风散花的春天, 吾心便如那吹散云雾见明月的秋之晚风。 细川玉子 别离时才方知这世间,花亦花来人亦人。 右田隆次 稍上将落之水滴,悟天下也亦万事迟矣。 冷泉隆豊 (天皇的)治世一场宛如空中烟云,风流云散皆成空。 吉弘统幸 明日不知又是谁,草席裹尸石垣原,沐浴着同今日一样的月光。 お市の方 夏夜飘渺梦,杜鹃声声催泪别。 千利休 携吾所得此具太刀,于此刻抛向天际。 展开全部 很难找 2113只 找到这三人LZ谅解 【越后の竜ー上 杉谦 5261信 】 「运が天 4102にあり。 铠が胸にあり。 手柄が 足にあり。 何时 1653も敌を掌にして合戦(がっせん)すべし。 疵付くこなし。 死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり!」 前田庆次的辞世辞 七年の病なければ三年の蓬も用ひず。 云无心にして岫を出るもまたをかし。 诗歌に心なければ、月花も苦にならず。 寐たき时は昼も寝、起きたき时は夜も起る。 九品莲台に至らんと思ふ欲心なければ、八万地狱に落つべき罪もなし。 生きるまでいきたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ。 辞世の句は「大ていは地に任せて肌骨好し 红粉を涂らず自ら风流」です。 甲斐の虎ー武田信玄 生命の火が遅かれ早かれ消えますが、英雄の行いはずっと后の世代(せだい)に伝えます。 この以上は戦国时代の最强ー武田信玄の一生でござりまする。

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