大崎 洋。 大﨑洋(吉本興業社長)の経歴!年収や大学~住みます芸人とは?

吉本興業大崎洋会長の経歴がすごい!仰天エピソードまとめ【画像】

大崎 洋

雨上がり決死隊・宮迫博之さんとロンドンブーツ1号2号・田村亮さんが『闇営業』の謝罪と吉本興業の問題について会見を開きました。 その会見の影響は、とても大きいものとなり、お笑い芸人たちが様々な反応を見せています。 会見を観た、ダウンタウン・松本人志さんは 「松本 動きます」 とツイートし、会見のあった夜には、吉本興業の会長・社長と会合しています。 会見翌日放送の『ワイドナショー』は、急遽生放送となり、松本人志さんを中心に『闇営業問題』について取り上げました。 その中では、吉本興業の大崎洋会長と松本人志さんの会話も明かされ、2人は親密な関係であることが明らかになっています。 そこで今回は、吉本興業の大崎洋会長の経歴プロフィールを調査し、松本人志さんとの関係を調査してみました。 中井秀範さん(吉本興業総合企画室室長、吉本音楽出版取締役、日本音楽事業者協会理事などを務めている。 実は正式な初代マネージャーは大崎洋さんではなく中井さんだという話も)• 新田敦生さん( 新保町花月館長を務めている) の2人がいます。 1980年代にダウンタウンのマネージャーは、 中井秀範さん・大崎洋会長・新田敦生さんの3人が務めていたということですね。 大崎洋会長が、ダウンタウンのマネージャーを終えた後、他の誰かのマネージャーになった情報はありませんでした。 ただ、大崎洋会長は1982年から2000年までの間、NSCで多くのお笑い芸人の育成に携わってきています。 大阪でダウンタウンが売れると、東京進出をサポートし、 ダウンタウンメインの番組のプロデューサー も務めました。 大崎洋会長が、ダウンタウンのことを一番近くで見てきて、よく知る人物といっても過言ではないでしょう。 2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任 2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任 2002年 株式会社有明スタジオの取締役に就任 2006年 吉本興業取締役副社長に就任 2009年 吉本興業代表取締役社長に就任 2019年 吉本興業代表取締役会長に就任 と、吉本興業、ならびに複数の子会社に取締役として就任し、2019年には吉本興業の取締役会長に就任しました。 2019年7月22日の吉本興業・岡本昭彦社長の記者会見の中で 『闇芸人問題』で吉本興業・大崎洋会長と岡本昭彦社長は50%減俸処分 としたことを明かしています。 吉本興業・大崎洋会長と松本人志の関係をチェック! 反社会勢力との会合に出席し、『闇営業』をしていたことが判明した宮迫博之さん・田村亮さんら芸人たち。 金銭授与があったのかという件に対して、一度は 「受け取っていない」 と虚偽の説明をしていたことが問題となり、謹慎処分となっていました。 その後、2019年7月19日に吉本興業が宮迫博之さんの契約解消を発表。 その翌日の2019年7月20日には、宮迫博之さんと田村亮さんが吉本興業を通さず、個人で謝罪会見を開いたのです。 謝罪会見で明らかになったのは、吉本興業の岡本昭彦社長がパワハラをしていたのではないかという疑惑です。 この会見を受けて、ダウンタウンの松本人志さんが吉本興業の大崎洋会長と岡本昭彦社長と会合しました。 その内容は、2019年7月21日の生放送『ワイドナショー』で松本人志さんが言及しています。 この会合で、大崎洋会長が 「もし、これ以上問題が大きくなるようなら、自分の進退は考えないといけない」 と自身の進退について考えているということを、松本人志さんは知らされました。 これについて『ワイドナショー』の中で ウチの兄貴なんでね。 大崎さんがいなくなったら僕は辞めますね。 と語っていましたよ。 1982年に吉本総合芸能学院(NSC)開校時の担当社員となった大崎洋会長は、 無名時代のダウンタウンの2人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教えた人物。 無名時代のダウンタウンの2人は、スケジュールが真っ白だったそうです。 『マネージャーとの打ち合わせ』というスケジュールしか入っていないスケジュールを渡された2人は、お礼を言って受け取り、きちんと時間どおりに打ち合わせ場所にやってきて、3人で一生懸命黙々とネタ作りに励んでいたそうですよ。 ダウンタウンの2人が今後売れることを見越して、コントの練習をし、コントの練習もきちんとスケジュール化して、• 芸人としてのスキルアップ• 時間厳守などのルール を徹底させていたのですね。 コントも芸人2人だけにさせるのではなく、マネージャー自ら一緒に練習をしていたことは、すごいですよね。 大崎洋会長が、 本気でダウンタウンを育てていた ということがよく伝わるエピソードです。 2人でスポーツジムに行った際に、25mプールを見た大崎洋会長はふと 「売れるようになったら(松本人志さんが)自分の言うことを聞いてくれなくなるなあ」 と、思ったといいます。 それと同時に、 「松本が間違った方向へ進もうとしていたら、絶対にとめなければいけない」 と。 そして水泳が得意だった大崎洋会長は、松本人志さんにある提案をします。 「25mを1回も息継ぎせずに潜水したら、将来俺の言うことを聞いてくれるか?」 と松本人志さんに聞くと、松本人志さんは快諾。 大崎洋会長は見事泳ぎ切りました。 その後、ある出来事に対して、松本人志さんが頑として首を縦に振らなかったときに 「あのときのプールの約束、今使うわ」 と言い、言うことを聞いてもらったそうです。 気になる内容についてはわかっていません。 しかし、昔の約束を互いに覚えていて、きちんと約束を守ったところからも、2人の信頼関係がうかがえます。 しかし、周囲からは 「こんな暗いやつらがどこで練習してるんだろう?」 と思わせるくらい、当時から漫才が上手かったそうです。 彼らは、マネージャーの大崎洋会長と一緒に漫才の練習を一生懸命していたのです。 スポンサーリンク まとめ 吉本興業の大崎洋会長は、岡本社長と同じく ダウンタウンの元マネージャー でした。 大崎洋会長は、二浪の末に関西大学社会学部に進学。 大学卒業後に吉本興業に入社した理由は、 『私服通勤だから』 『まとまった休みがとれると思っていたから』 という安易なものでした。 それほど、ダウンタウンは大崎洋会長に心酔しているのですね。 今回、大崎洋会長は50%減俸という処分を受けているので、進退問題には発展しない模様です。 今後は、ダウンタウンと一緒に、また力を合わせて吉本興業を盛り上げてもらいたいものですね。

次の

ロンブー田村亮、吉本の大崎会長ラジオにゲスト出演

大崎 洋

ロンドンブーツ1号2号の田村亮(48)が12日深夜、吉本興業の大崎洋会長がパーソナリティーを務めるKBS京都ラジオ「らぶゆ~きょうと」にゲスト出演した。 亮は5日深夜にスタートした同番組の初回にも出演。 大崎会長は「2回目もお願いして、さみしいから亮くんにいといてって、来てもらいました」とゲストの亮を紹介。 亮が「ロンドンブーツ1号2号の田村亮です」とあいさつすると、大崎会長は「ずっと来てくれへんかな。 スケジュールが合ったら」とリクエスト。 亮は「全然、僕は今、暇人なんで」と答えていた。 西川のりお(68)の話になり、亮は3月にのりおと会った際に「反省は3。 7は調子乗っていいよ」と言われたという。 亮が「それは逆じゃないですか」と返事すると、のりおは「本当はそれぐらい。 5、5でもいい。 今の世の中やからバランス取らなあかんかも分からんけど、芸人やから調子乗っとかなあかんで。 反省しすぎても笑いにくくなるし」と言ったという。 大崎会長は「さすが西川のりお」と驚いていた。 亮が「ネットとかで『あいつ全然反省してないやん』とか言われたら、のりお師匠に言われたって言いますよ」と言うと、のりおは「何の足しにもならんけど、言っていいよ。 言ってくれ」と答えたと明かした。

次の

大崎洋 ダウンタウン松本に「プールでの約束」要求!その内容とは?

大崎 洋

来歴・人物 [ ] に卒業後、吉本興業に入社。 以後、エンターテインメントビジネス界において様々なプロジェクトを成功させ、からの東京事務所時代には、を支えた。 吉本に入社した理由は、私服で通勤が可能な会社だったからと語っている。 入社当初は仕事に対して特別やる気もなく適当に仕事をしていたが、ある日、会社の同僚と徹夜でマージャンをしたときに終始一人負け続けたことがあった。 夜が空けた明け方近くまでずっと負け続けた大崎はおもむろに立ち上がり、カーテンと窓を開けて外に向かって大きな声で「絶対に出世する! 」と怒鳴り声を上げた。 その日以来、仕事に対する姿勢は一変し、最終的に社長に上り詰めた。 はかねてより大崎の能力を崇拝しており、自分の子供の名前をつける際、姓名判断の占い師に相談したついでに大崎の名前も鑑定してもらったところ、「掃除夫から社長になる男」との診断をもらったらしい。 吉本所属タレントの中でも、特にとの関わりが強く、開校時の担当社員となり、無名時代の2人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教える。 その後、大阪で人気の頂点に立ったダウンタウンを東京に進出させる(は、「大阪で満足していたが、遠くて近い外国・TOKYOに無理やり移住させられた」とネタにしている)。 また、ダウンタウンがメインの番組には・オーガナイザーなどとして参加、「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではダウンタウンの二人が打ち合わせ中に大喧嘩するというドッキリの仕掛け役としてテレビ出演し、そのリアルな演出にすっかり騙された今田耕司が本気で泣いてしまうという事もあった [ ]。 東京支社長就任後は、吉本興業の企業としての近代化を進めると共に、新たな劇場の建設や若手育成に力を注ぐ反面、会社の方針に従わない芸人やタレントを大胆にリストラし、の淫行事件で早々に専属芸能家契約の解除を決定し 2016年11月に吉本復帰が許された 、の暴力団との親密交際 最終的には紳助が自ら引退 など、不祥事、モラルに反する行為を起こしたタレントに対し厳格な措置を取る(ただ、紳助が引退を決断する前に大崎が本人に対して、どういった措置を取るつもりだったのかは著書においても述べられておらず、不明である。 しかし、著書によれば吉本社内において様々な意見が出たが、大崎は紳助本人に決断をしてほしかったと述べられている )。 、まだ松本が20歳頃、松本も大崎も仕事が無く、ヒマをもてあました2人で映画館や銭湯等によく行っていた。 ある日、大崎が広いスポーツジムの25メートルプールで突然「俺が端から端まで息継ぎせんと泳げたら、これから先お前がどんだけ売れても、俺の言うこと1つだけ聞いてくれ」と言った。 お互いこの業界で成功しそうにないと思っていた松本は「いいですけど」と答え、大崎は本当に潜水してみせた。 その20年後、本当に売れた松本は「1つだけって、なに言われるんやろ? 断ったろ思ってんねんけど」とネタにする。 しかし更にその後に松本が頑として首を縦に振らなかった出来事があった時に「あのときのプールの約束、今使うわ」と大崎が言うと松本は「こんなときにですか…」と言いつつ「わかりました」と苦笑しながら了承した 経歴 [ ]• 1978年 吉本興業入社• 1980年 吉本興業東京事務所に、上司の(東京事務所長)と共に異動• 1982年 吉本総合芸能学院の担当社員に異動• 2000年 取締役• 2001年 吉本興業取締役、取締役• 2002年 取締役兼務• 2006年 吉本興業取締役副社長• 2009年 吉本興業代表取締役社長• 2019年 吉本興業ホールディングス代表取締役会長 暴力団との関係 [ ] 2012年、「週刊現代」1月28日号では吉本興業の創業家当主・林正樹が、大崎が5代目組長・の娘の芸能界デビューを画策していたと暴露している。 この件について「週刊現代」は、吉本興業とに連名で提訴されている。 2019年、吉本芸人が起こした闇営業騒動の中、元所属芸人のがで大崎について語り、前田らのマネージャーをしていた時代にヤクザから何回も仕事を受けていたと語った。 関連文献 [ ]• 『笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語』幻冬舎、2013年。 脚注 [ ] [].

次の