百人一首 作者。 82 思ひわび〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】

百人一首の意味と文法解説(17)ちはやぶる神代もきかず竜田川韓紅に水くくるとは┃在原業平朝臣

百人一首 作者

「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」は、上の句の始まりの音が1つしかない「一枚札」の和歌のグループです。 読み手が「む」と最初の一字を読めば取り札が分かるという一字決まりの覚え方を紹介しますので、表の太字の部分を覚えましょう。 むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆうぐれ すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよひじ ひとめよくらむ めぐりあいて みしやそれとも わかぬまに くもかくれにし よはのつきかな ふくからに あきのくさきの しおるれば むへやまかぜを あらしといふらむ さびしさに やどをたちいでて ながむれば いつこもおなじ あきのゆうぐれ ほととぎす なきつるかたを ながむれば たたありあけの つきぞのこれる せをはやみ いわをせかるる たきがわの われてもすゑに あはむとぞおもふ 「う・つ・し・も・ゆ」は上の句が同じ音で始まる和歌が2つある「二枚札」のグループです。 このグループは最初の一字だけではどの和歌かを特定することが出来ませんから、次に読まれる一字でどの歌かを識別するという覚え方をします。 例えば「つ」で始まる和歌は、次の一字が「き」であれば「わがみひとつのあきにはあらねど」の札を取り、「く」であれば「こひそつもりてふちとなりぬる」の札を取ります。 二枚札の和歌を頭に入れる覚え方をそれぞれ見てみましょう。 うかりける ひとをはつせの やまおろし はけしかれとは いのらぬものを うらみわび ほさぬそれだに あるものを こひにくちなむ なこそをしけれ つくばねの みねよりおつる みなのがわ こひそつもりて ふちとなりぬる つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わかみひとつの あきにはあらねど しのぶれど いろにいでにけり わがこいは ものやおもふと ひとのとふまで しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまそちりける もろともに あわれとおもえ やまざくら はなよりほかに しるひともなし ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかせそふく ゆらのとを わたるふなびと かじをたえ ゆくへもしらぬ こひのみちかな 「い・ち・ひ・き」は上の句が同じ音で始まる和歌が3つある「三枚札」と呼ばれるグループです。 三枚札のグループの和歌は、上の句の途中までが同じ言葉の和歌が複数ありますから、競技かるたではそれぞれの異なる部分までと下の句の始まりを頭に入れる覚え方をします。 三枚札の和歌の覚え方をそれぞれ見ていきましょう。 いにしえの ならのみやこの やえざくら けふここのへに ほひぬるかな いまこんと いいしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいてつるかな いまはただ おもいたえなんとばかりを ひとつてならて いふよしもかな ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさしとは ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あはれことしの あきもいぬめり ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれなゐに みつくくるとは ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しつこころなく はなのちるらむ ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなそむかしの かににほひける ひともおし ひともうらめし あじきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ きみがため おしからざりし いのちさえ なかくもかなと おもひけるかな きみがため はるののにいでて わかなつむ わかころもてに ゆきはふりつつ 「は・や・よ・か」は「四枚札」のグループです。 同じ音で始まる和歌が4つありますから、最初の一字で取り札を判断することは出来ません。 四枚札のグループを頭に入れる覚え方をご紹介しますので、ぜひ参考にしてください。 はなさそう あらしのにわの ゆきならで ふりゆくものは わかみなりけり はなのいろは うつりにけりな いたずらに わかみよにふる なかめせしまに はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかくやま はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそをしけれ やまがわに かぜのかけたる しがらみは なかれもあへぬ もみちなりけり やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへは やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり やすらわで ねなましものを さよふけて かたふくまての つきをみしかな よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのおふねの つなてかなしも よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまもおくにも しかそなくなる よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさし よもすがら ものおもうころは あけやらで ねやのひまさへ つれなかりけり かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそきそなつの しるしなりける かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くたけてものを おもふころかな かくとだに えやわいぶきの さしもぐさ さしもしらしな もゆるおもひを かささひの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よそふけにける 「み」で始まる和歌は5つあり、「五枚札」と呼ばれる覚え方のグループですから、最初の一字で取り札を判断することは出来ません。 2つ目の音が「か」のものが2つありますから、2つ目の音が「か」だった場合は次の一字と下の句の最初を頭に入れておきましょう。 その他の和歌は最初の一字では取り札を判断することは出来ませんが、次の一字を聞けば取り札が分かります。 それぞれの和歌の覚え方を見てみましょう。 みせばやな おじまのあまの そでだにも ぬれにそぬれし いろはかはらす みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みたれそめにし われならなくに みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり みかきもり えじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもへ みかのはら わきてながるる いずみがわ いつみきとてか こひしかるらむ 「た・こ」は同じ音で始まる和歌は6首ずつあり、「た・こ」は「六枚札」のグループです。 「た」は2つ目の音を聞いてから、「こ」は「こころ」で始まる和歌が2つありますから、2つ目の音が「こ」の和歌は4つ目の音を聞いてから取り札を判断するという覚え方をします。 たかさごの おのえのさくら さきにけり とやまのかすみ たたすもあらなむ たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそなかれて なほきこえけれ たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふしのたかねに ゆきはふりつつ たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかは いまかへりこむ たまのおよ たえなばたえね ながらえば しのふることの よはりもそする たれをかも しるひとにせん たかさごの まつもむかしの ともならなくに こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれすこそ おもひそめしか こころあてに おらばやおらん はつしもの おきまとはせる しらきくのはな こころにも あらでうきよに ながらえば こひしかるへき よはのつきかな こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしほの みもこかれつつ このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみちのにしき かみのまにまに これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき 和歌の最初の音が「お・わ」で始まる「七枚札」の各グループの和歌の覚え方を見てみましょう。 おおえやま いくののみちの とおければ またふみもみす あまのはしたて おおけなく うきよのたみに おおうかな わかたつそまに すみそめのそて おおことの たえてしなくば なかなかに ひとをもみをも うらみさらまし おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたひのみ ゆきまたなむ おとにきく たかしのはまの あだなみは かけしやそての ぬれもこそすれ おもいわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみたなりけり おくやまに もみじふみわけ なくしかの こゑきくときそ あきはかなしき わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうちやまと ひとはいふなり わがそでは しおひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かはくまもなし わすらるる みをばおもわず ちかいてし ひとのいのちの をしくもあるかな わすれじの ゆくすえまでは かたければ けふを かきりのいのちともかな わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまかふ おきつしらなみ わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつけよ あまのつりふね わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みをつくしても あはむとそおもふ 「な」は上の句が同じ音で始まる和歌が8つある「八枚札」のグループです。 上の句が「な」で始まる和歌の覚え方を見てみましょう。 ながからん こころもしらず くろかみの みたれてけさは ものをこそおもへ ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみしよそ いまはこひしき なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる なげけとて つきやものを おもわする かこちかほなる わかなみたかな なつのよは まだよいながら あけぬるを くものいつこに つきやとるらむ なにわがた みじかきあしの ふしのまも あはてこのよを すくしてよとや なにわえの あしのかりねの ひとよゆえ みをつくしてや こひわたるへき なにしおわば おおさかやまの さねかずら ひとにしられて くるよしもかな 百人一首の中で最も同じ音で始まるのが多いのは、上の句が「あ」で始まる和歌です。 「あ」で始まる和歌は16首と多いですが、まずは以下の表の太字の所を覚えるようにしましょう。 あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはさりけり あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいつるつきのかけのさやけさ あけぬれば くるるものとは しりながら なほうらめしき あさほらけかな あさじうの おののしのはら しのぶれど あまりてなとか ひとのこひしき あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらはれわたる せせのあしろき あしびきの やまどりのおの しだりおの なかなかしよを ひとりかもねむ あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ をとめのすかたしはしととめむ あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いてしつきかも あらざらん このよのほかの おもいでに いまひとたひの あふこともかな あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかはの にしきなりけり あきのたの かりおのいおの とまをあらみ わかころもては つゆにぬれつつ あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきはかり うきものはなし ありまやま いなのささはら かぜふけば いてそよひとを わすれやはする あわじしま かようちどりの なくこえに いくよさめ ぬすまのせきもり あわれとも いうべきひとは おもおえで みのいたつらになりぬへきかな 3・4枚札の百人一首の和歌の語呂合わせでの覚え方をご紹介します。 いに 胃に 今日子 いまこ いまこ あり いまは 今は ひとつ ちぎりお 名 犬 ちぎりお ちぎりき 契りき 奈美子 ちは ちは から ひさ ひさ しづ ひとは 人は 謎 ひとも 人も 世を思う きみがためお 黄身固めを 長く きみがためは きみがためは きり 切り 殺し はなさ はなさ ふり はなの 花の 眺め はるす 春過 ぎて 衣干す はるの 春の 会 やえ やえ やす 安 か っ た服 やまが 山が 流れ やまざ やまざ と よのなかは 世の中は 悲し よのなかよ 世の中よ なくなる よも 余も 暇 よを 世を 余に かく 角 刺し かさ 傘 白 かぜそ かぜそ みそ かぜを 風を 砕け 5・6・7枚札の百人一首の語呂合わせでの覚え方をご紹介します。 みかき みかき つつ みかの みかの つみき みせ 店 濡れ みち 西の 道が 乱れ みよ 見よ 降る たか 鷹 と山 たき 滝 流れて たご たご ふじ たち たち としき たま たま しの たれ たれ もむか こころあ こころあ おき こころに 心に 小石 こぬ 来ぬ 薬 やく この この もみじ これ これ 知る こい こひ こい わがい わがい うち 若いうち わがそ わがそ 乾く わすら わすら 餅 わすれ わすれ 鳥 わたのはらこ わたのはらこ わたのはらや わたのはらや 釣り船 わび 身を尽くしても 侘び おおえ おおえ ふみ おおけ おおけ 、 わか っ た おおこ おおこ 恨み おく 奥 声 おぐ おぐら みゆき おと 音 かけ おも おも 浮き 8・16枚札の百人一首の和歌の語呂合わせでの覚え方をご紹介します。 ながか ながか 乱れて ながら ながら うし なげき 嘆き イカ なげけ 嘆け 過去 なつ 夏 雲 なにし 何し 来るよ なにわえ 難波へ たこやき なにわが 難波が 慌て あわじ 淡路 行くよ あわれ 哀れ みの あらざ あらざ おおこ あらし 嵐 だった あきか あきか もれ あきの 秋の 露 あまつ 天津 乙女 あまの あまの みか ありあ ありあ ありま 有馬 いて あさじ あさぢ 余り あさぼらけあ あさぼらけあ 取り札に「のの」とある あさぼらけう あさぼらけう 取り札の上の部分に「ああ」とある あし あし なが あい 愛 昔 あけ あけ.

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82 思ひわび〜 |歌の意味・解説・翻訳【百人一首】

百人一首 作者

2020-01-16 21:00 来源: 原标题:百人一首鉴赏:悠悠神代事(附音频) 作者: Yissa 《小仓百人一首》汇聚了日本王朝文化七百年间的优秀作品,是由藤原定家在1235年选定的。 上期回顾: 百人一首鉴赏:花开难波津(附音频) 今天要介绍的这首和歌,也是《花牌情缘》的观众老爷们再熟悉不过的: ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣) 【读音】 ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれなゐに みづくくるとは 【翻译】 悠悠神代事,黯黯不曾闻。 枫染龙田川,潺潺流水深。 神代:神话传说的时代 くくる:他ラ四段动词,紧捆。 龙田川发源于奈良县,自古以来就是赏红叶圣地。 据传,在原业平在宫中,看到曾经的恋人二条皇后的屏风上绘着龙田川上红叶尽染的景象,便作此歌赞美。 为什么说《花牌情缘》和这首歌渊源颇深呢?别忘了《花牌情缘》的日文名 『ちはやふる』,至少有两种解释。 「ちはやぶる」表面上看来是描写枫叶染红河流的壮美景色,但是动画中似乎另有解读。 也许当时她意识到了——那就是爱情吧,从此以后这张牌在她眼中就成了红色,就算在茫茫牌海中看一眼,也能找到它的位置(在下千太党!请不要误杀!!) 作品中的解释可能是为了推动情节发展而刻意设定,你可以不完全认同。 比赛开始前, 抽取50张夺取牌(也就是说,有一定几率唱出的吟诵牌是空牌,对应夺取牌不在场), 随机分配给比赛双方各25张,选手需要将其摆为上段、中段、下段三行。 吟诵者按照随机顺序开始读牌, 如果对应的夺取牌在场上,则最先触到该牌、或者将这张牌扫出竞技线即可视为得牌。 如果在敌阵,则在取出之后,从自阵中送出一张牌给敌阵。 如果两人同时触牌,则牌在自阵的一方得牌。 最后,自阵的牌最先清空的一方获得最终胜利。 ——总之,这就是一个集脑力、体力、记忆力、专注力为一体的累人游戏,所以说《花牌情缘》是纯热血竞技番,一点不为过。 无论如何,通过玩歌牌,很多孩子记住了百人一首中的和歌,让这种文学形式一代代流传下来,也是件好事了。 责任编辑:.

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小倉百人一首の成立や作者の藤原定家について。使われた和歌集は?

百人一首 作者

末尾に付した 内の数字は没年齢 数え歳 である。 また、詠作事情の記事では歌番号を 赤太字で示した。 壬申の乱 698 文武二 文武 07阿倍仲麿 702 大宝二 〃 58 710 和銅三 元明 この年以前か 平城京遷都 718 養老二 元正 06大伴家持 「養老律令」編纂 737 天平九 聖武 この年か 751 天平勝宝三 孝謙 阿倍仲麿、唐より日本をめざして出航するが、難船して帰国を果たさず。 皇統は天武系より天智系に移る。 785 延暦四 桓武 68 藤原種継暗殺事件 〃 平安京遷都 801 延暦二十 〃 11小野篁 816 弘仁七 嵯峨 12遍昭 818 弘仁九 〃 16在原行平 822 弘仁十三 〃 14源融 57 825 天長二 淳和 17在原業平 830 天長七 〃 15光孝天皇 838 承和五 仁明 小野篁、隠岐に配流される。 842 承和九 〃 57 小野吉子、正六位上に叙せられる。 吉子をと同一人と見る説がある。 844 承和十一 〃 21素性法師 845 承和十二 〃 24菅原道真 852 仁寿二 文徳 51 855 斉衡二 〃 在原行平、因幡守に任ぜられ、別れの歌を詠む。 868 貞観十 清和 13陽成院 872 貞観十四 〃 35紀貫之 一説 873 貞観十五 〃 25藤原定方 874 貞観十六 〃 19伊勢 一説 876 貞観十八 陽成 、践祚。 文徳直系の最後の天皇。 877 元慶元 〃 27藤原兼輔 879 元慶三 〃 この年以後 文屋康秀、縫殿助に任ぜられる。 文徳直系の皇統は断絶。 892 寛平四 〃 「是貞親王家歌合」この年開催か。 22康秀「吹くからに」、 23千里「月見れば」は、この歌合の出詠歌。 「寛平御時后宮歌合」この年開催か。 「奧山に」、敏行「住の江の」、 37朝康「白露に」は、この歌合に採られている。 893 寛平五 〃 76 菅原道真、『新撰万葉集』撰進。 894 寛平六 〃 遣唐使廃止。 895 寛平七 〃 74 898 昌泰元 醍醐 24、宇多上皇の吉野宮滝行幸に供奉し歌を詠む。 901 延喜一 〃 〔延喜七年説もある〕 道真、大宰権帥に左遷。 902 延喜二 〃 37この年以後 903 延喜三 〃 24 59 23この年以後 905 延喜五 〃 33この年か 『古今和歌集』下命または奏覧。 同集真名序は「」の名が見える現存最古の記事。 また「」も同集仮名序・真名序が初出。 906 延喜六 〃 43藤原敦忠 907 延喜七 〃 30この年以後 宇多法皇、大井川御幸。 躬恒・貫之・是則・忠岑らが献歌。 26藤原忠平「小倉山」はこの時の作。 この年、唐が滅亡。 908 延喜八 〃 42清原元輔 909 延喜九 〃 21この年以後 素性、醍醐天皇に召され屏風歌を詠む。 910 延喜十 〃 44藤原朝忠 913 延喜十三 〃 34この年以後 「亭子院歌合」「内裏菊合」。 興風ら出詠。 920 延喜二十 〃 32 921 延喜二十一 〃 49大中臣能宣 924 延長二 〃 45藤原伊尹 31この年以後 是則、加賀介に任ぜられる。 925 延長三 〃 29この年以後 躬恒、和泉国より帰京。 藤原忠平、摂政。 932 承平二 朱雀 25 60 933 承平三 〃 27 57 938 天慶元 〃 この年以後 勤子内親王 醍醐天皇の皇女 、薨ず。 伊勢、哀傷歌を詠む。 939 天慶二 〃 28 943 天慶六 〃 43 38 54 945 天慶八 〃 この年か 3月、貫之、木工権頭に任ぜられる。 949 天暦三 村上 26 70 82 951 天暦五 〃 39 72 『後撰和歌集』の編纂始まる。 954 天暦八 〃 50藤原義孝 955 天暦九 〃 53藤原道綱母、「歎きつつ」の歌を詠む。 958 天徳二 〃 51藤原実方 この頃か 960 天徳四 〃 41この年以後 「天徳内裏歌合」で 40平兼盛・ 41壬生忠見、恋の歌を競う。 44藤原朝忠「逢ふことの」もこの時の出詠歌。 966 康保三 〃 55藤原公任 38この年以後 44 57 右近ら、「内裏前栽合」に出詠。 敦実親王、薨ず。 は同親王の雑色であったとの伝がある 『今昔物語』など。 972 天禄三 円融 52藤原道信 45 49 974 天延二 〃 50 21 976 天延四 〃 68三条院 985 寛和元 花山 円融院の紫野行幸。 46曾禰好忠、推参して追い出される。 二十五年に及ぶ治世は平安王朝文化の最盛期。 花山院、熊野参詣。 恵慶ら、供奉する。 988 永延二 一条 69能因法師 990 正暦元 〃 42 83 40 、一条天皇の中宮となる。 991 正暦二 〃 49 71 992 正暦三 〃 63藤原道雅 994 正暦五 〃 52 23 995 長徳元 〃 64藤原定頼 53 、右大臣。 996 長徳二 〃 54 998 長徳四 〃 60小式部内侍 この頃 51 999 長保元 〃 58大弐三位 この頃 55藤原公任、嵯峨大覚寺で「滝の音は」の歌を詠む。 1000 長保二 〃 藤原定子 25 48この年か 、中宮。 1003 長保五 〃 46この年以後 、「左大臣家歌合」を開催。 好忠ら、出詠。 1005 寛弘二 〃 『拾遺和歌集』、この年か翌年頃に成立。 1015 長和四 三条 68三条天皇、清涼殿内の御局で「心にも」の歌を詠む 『栄花物語』。 翌年、退位。 1016 長和五 後一条 71源経信 63藤原道雅、伊勢斎宮を退下した当子内親王と密通、翌年三条院の勅勘を被る。 1017 寛仁元 〃 68 42 1025 万寿二 〃 60 1027 万寿四 〃 藤原道長 62 62この頃か 1031 長元四 〃 57この頃か 1035 長元八 〃 56この頃か 1037 長暦元 後朱雀 67周防内侍 この頃 1041 長久二 〃 73大江匡房 55 76 59この年以後 「弘徽殿女御生子歌合」。 赤染衛門、出詠。 1045 寛徳二 後冷泉 64 51 1049 永承四 〃 69能因法師、 「永承四年内裏歌合」で「嵐吹く」の歌を詠む。 1051 永承六 〃 69この年以後 相模、 「永承六年内裏歌合」で「うらみわび」の歌を詠む。 能因、賀陽院の和歌会に参加。 1054 天喜二 〃 63 63 1055 天喜三 〃 74源俊頼 66行尊 1060 康平三 〃 75藤原基俊 61この年以後 伊勢大輔、志賀僧正明尊の九十賀に歌を詠む。 1061 康平四 〃 65この年以後 「祐子内親王家名所歌合」。 相模ら出詠。 1065 康平八 〃 70この頃か 1078 承暦二 白河 58この年以後 大弐三位、内裏歌合で息子為家の代詠をつとめる。 この時八十歳以上か。 、退位して院政を始める。 1090 寛治四 堀河 79藤原顕輔 82道因法師 1097 承徳元 〃 76藤原忠通 71 82 1102 康和四 〃 堀河天皇、 「内裏艶書歌合」を催す。 72祐子内親王家紀伊「音にきく」の歌を詠む。 1104 長治元 〃 84藤原清輔 1109 天仁二 〃 67この年以後 1111 天永元 鳥羽 43 73 71 1113 永久元 〃 85俊恵法師 72この年以後 「少納言定通歌合」。 紀伊ら、出詠。 1127 大治二 崇徳 この年か前年、第五勅撰集 『金葉和歌集』 三奏本 、奏上。 源俊頼撰。 1128 大治三 〃 78この年以後。 住吉社歌合。 兼昌、出詠。 1129 大治四 〃 白河院 77 74 75 1135 長承四 〃 66 81 1139 保延五 〃 81藤原実定 87寂蓮法師 一説 1140 保延六 〃 この年か翌年、 83藤原俊成、「世の中よ」の歌を詠む。 1142 永治二 近衛 75 83 1146 久安二 〃 80この年以後 待賢門院堀河、前年亡くなった待賢門院を偲び哀傷歌を詠む。 1149 久安五 〃 89式子内親王 1150 久安六 〃 77崇徳院主催の 「久安百首」の詠進終わる。 79顕輔の「秋風に」、 80待賢門院堀河の「長からん」はこの時の作。 1151 仁平元 〃 第六勅撰和歌集 『詞花和歌集』奏覧。 藤原顕輔撰。 1156 保元元 後白河 54 保元の乱。 崇徳院、讃岐配流。 道因 90歳 、出詠。 1181 養和元 (20歳) 安徳 88この年以後 皇嘉門院、崩御。 1185 文治元 (24歳) 後鳥羽 安徳天皇 8 壇ノ浦の戦。 平氏滅亡。 藤原俊成撰。 91良経「きりぎりす」の歌はこの百首歌として詠進されたもの。 87寂蓮「村雨の」はこの時の出詠歌。 新古今集の撰進はじまる。 1212 建暦二 (51歳) 順徳 12月、 「二十首御会」で 99後鳥羽院「人もをし」の歌を詠む。 1215 建保三 (54歳) 〃 この頃、定家、八代集から抜粋した手控えの秀歌撰 『定家八代抄(二四代抄)』を編む。 百人一首のうち92首を含む。 八代集の百人一首歌でこの書に採られていないのは 55公任・ 82道因法師の2首のみである。 1216 建保四 (55歳) 〃 閏6月 62? 97定家「来ぬ人を」はこの時の作。 この年、 100順徳院「ももしきや」の歌を詠む。 〔百人一首は家隆の官位を従二位とするが、百人秀歌では正三位。 〔百人一首・百人秀歌はともに雅経の肩書を参議とする。 7月 後鳥羽院・順徳院の遠島配流が決せられ、まもなく隠岐・佐渡に遷幸。 1222 貞応元 (61歳) 後堀河 生れる。 為家と宇都宮頼綱女の子。 定家の嫡孫。 家隆「風そよぐ」入撰する。 百人一首の公経は「入道前太政大臣」と称される。 〔百人一首・百人秀歌はともに定家の肩書を権中納言とする。 四条天皇、践祚。 定家は落胆し、手もとにあった『新勅撰集』草稿を焼く(明月記)。 明月記に「有子細云々、有恐惶事」などとあり、実は後鳥羽院の仰せであったらしい。 『新勅撰集』につき「御感言」を頂くが、「猶時輩歌有承旨等」と、当代歌人の作につき改編を要求される(新勅撰集識語)。 〔後鳥羽院・順徳院の御製などが削除されたと考えられる。 3月以前、後鳥羽院撰 初撰本 成立 〔一説〕。 らが同席。 「自天智天皇以来及家隆雅経」(以上、明月記)。 1236 嘉禎二 (75歳) 〃 7月 後鳥羽院、隠岐で「遠島御歌合」を開催。 家隆・・ら、詠進。 7月以後 後鳥羽院、を改編。 〔定家・秀能・自詠ほかを一部差し替えるなどした。 1238 暦仁元 (77歳) 〃 定家、順徳院に『僻案抄』を奉る。 〕 1251 建長三 〃 10月または12月、藤原為家撰、後嵯峨院に奏覧。 後鳥羽院・順徳院の百人一首歌が入集。 1263 弘長三 亀山 生れる。 為家との子。 冷泉家の祖。 定家の『明月記』を除けば、百人一首につき言及した最古の記録 〔但し延徳元年 1489 以後の後補と見る説もある。 〕 1406 応永十三 後小松 藤原 二条 満基、『百人一首抄』 『応永抄』 を筆写。 現存最古の注釈書。 序文に「右百首は京極黄門の小倉山庄色紙和歌也。 それを世に百人一首と号する也」と見え、これが「百人一首」という名の初見。 〔注釈の内容は『宗祇抄』とほぼ同一。 奥書に応永十三年とあるが、奥書を別筆と見る説もある。 〕 1421 応永二十八 称光 宗祇、生まれる。 1445 文安二 後花園 尭孝、百人一首を書写。 現存最古の写本。 宗祇は百人一首の流布に大きな役割を果した。 『応永抄』が出現するまで、永く『宗祇抄』が百人一首最古の注釈書と考えられていた。 1596 慶長元 後陽成 、『小倉山荘色紙形和歌講述』で小倉色紙について記述、「東常縁迄は百枚ながら伝来し給を、宗祇の所望により五十枚付属せしが、宗祇又我門葉に一枚宛わかち与ふ」と、宗祇以後、小倉色紙が分散したと伝える。 1603 慶長八 〃 江戸幕府成立 1620 元和六 後水尾 道勝法親王、薨 47。 現存最古の百人一首カルタは、道勝法親王筆と伝わる。 1631 寛永八 明正 幽斎『百人一首抄』出版。 〔ほぼ『宗祇抄』を踏襲した注釈書だが、版を重ねて広く流布した。 素庵は元和または寛永年間、絵入り百人一首 本文に歌仙絵を添えたもの の版本を初めて出版 〔百人一首カルタの歌仙絵の祖型となる。 光悦は元和頃、古活字本百人一首を刊行。 いわゆる型配列の百人一首。 1692 元禄五 東山 『百人一首改観抄』成る。 〔実証的な百人一首研究の嚆矢とされる。 〕 1702 元禄十五 〃 水戸の国学者 安藤為章の随筆『年山紀聞』成る。 〔明月記の記事などから、百人一首の撰者を宇都宮蓮生ではないかとし、定家は染筆しただけであろうとの新説を提唱した。 現在では完全に否定されているが、後世まで長く影響力を有した説である。 〕 1928 昭和三 昭和 吉沢義則「百人一首の撰者など」 『国語国文の研究』十六号 で百人一首をが定家に仮託して撰した偽作とする説を提唱。 〔現在では完全に否定されている。 〕 1935 昭和十 〃 久曽神昇「二四代集と定家歌論書」(『国語と国文学』)で百人一首の歌のほとんどが定家編『二四代集(定家八代抄)』に見られることを指摘する。 これにより百人一首定家撰説が有力説として甦る。 1951 昭和二十六 〃 有吉保「百人一首の書名成立過程について」 『古典論叢』 でを初めて紹介。 〔以後、百人一首成立論が活発化。 〕 1963 昭和三十八 〃 7月、雑誌『墨美』に後鳥羽院の「人もおし」を書いた小倉色紙が掲載される。 〔これが定家の真筆であれば、百人一首全首が定家撰であることがほぼ確実となる。 〕 1972 昭和四十七 〃 前年よりこの年にかけて雑誌『文学』に 樋口芳麻呂「百人秀歌から百人一首へ」が発表され、百人一首定家撰説を展開する。 一方、 石田吉貞は「百人一首成立の問題点」」を雑誌『学苑』に掲載、百人一首は後人の改編、おそらく為家の手が加わったものと見る。 1975 昭和五十 〃 樋口芳麻呂「『百人一首』への道」が雑誌『文学』に掲載され、これに反論した 石田吉貞「『百人一首』撰者考」が同誌に掲載される。 〔以後、百人一首の「謎解き本」出版が相次ぐ。 〕 1990 平成二 今上 吉海直人「百人秀歌型配列の異本百人一首について」 『和歌文学研究』 でいわゆるの存在を初めて紹介。 1999 平成十一 今上 吉田幸一編著『百人一首 為家本・尊円親王本考』刊行される。 | 更新日:平成15年09月05日 最終更新日:平成22年03月25日.

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