日蓮宗 大 本山。 日蓮宗ポータルサイト

千葉県鴨川市 日蓮宗 大本山 清澄寺オフィシャルサイト

日蓮宗 大 本山

妙顕寺 数年ぶりの再訪。 京都市上京区にある妙顕寺。 日蓮宗四大本山の1寺であり、洛中における日蓮宗最初の寺院として有名なお寺です。 山門手前には枝垂れ桜が植えられています。 春に訪れれば山門と桜という見事な景色が見られることでしょう。 妙顕寺 三菩薩堂 20200102 他では聞かない「三菩薩」。 どちらの三人さま…?と思っていましたが、妙顕寺の公式サイトでしっかりと説明がなされていました。 日像菩薩は追放や迫害といった数々の法難を乗り越え、 粘り強い布教を続け、後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜り、 宗門の教線拡大の礎を築かれました。 その後、後継者として 大覚大僧正を輩出し、 日蓮大聖人・日朗上人・日像上人に三菩薩号を賜り、 以来門下屈指の勅願寺として栄え、四海唱導とも称されました。 出典: 妙顕寺 公式サイト-— 一度に三人にお詣りできるとは…!と思いながら三菩薩堂へお詣りした後、扁額の写真を一枚。 扁額に書かれた「勅賜」の2文字の持つ意味は今よりも大きかったのではないかと思われます。 妙顕寺 勅使門 20200102 勅使門の前を通り過ぎて回廊を潜り、方丈入口で拝観受付と御朱印帳を預けて、本堂とお庭の拝観の始まりです。 妙顕寺 本堂とお庭の拝観。 妙顕寺の拝観は本堂からスタートです。 本堂内部は撮影禁止のため、写真はありません。 回廊の渡り廊下を渡り本堂の裏側から入らせて頂いたのですが、正面から見た時の大きさ通り、中は広く豪華絢爛という言葉がふさわしいものでした。 格天井には色々な家の家紋が施されていました。 以前は双龍が描かれていたけど崩壊して、寄進した家の家紋を施した…という説明をどこかで読み、崩壊したのが天井だけで良かったなぁ…と思った記憶があります。 その様な経緯もあってか、本堂の建物に比べて比較的新しい天井。 中からも改めて御本尊にお詣り。 日蓮宗の本堂内部はあまり訪れることがないため、思わずマジマジと見てしまいますが、知識不足のために詳細がよくわかりません。 本堂には『金丸』と書かれた、私の腰よりも上位までの高さのある大きな仏具が置かれていました。 この『金丸』、私が知っている呼び名では『おりん』と呼ぶ、お仏壇にも置かれているあの仏具と同じに見えました。 妙顕寺 日蓮宗 では『金丸』と呼ぶのでしょうか?大きな金丸は自由に鳴らしてもよいとのことで私も鳴らさせて頂きましたが、身体に響く音がしました。 金丸の前には諸注意と鳴らし方の説明が置かれているので、しっかり読んでから体験して見てください。 本堂を囲む回廊を進み、正面へ。 大舞台と呼ばれるほどに広い本堂正面は十五間四面と呼ばれる日蓮宗の伝統的な本堂の様式。 本堂を囲む回廊にはカーペットが敷かれており、歩きやすい様に配慮されています。

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日蓮法華宗 大本山 白龍山 正福寺

日蓮宗 大 本山

大本山寺院一覧(だいほんざんじいんいちらん)は、の各宗派のの一覧。 日本の伝統仏教宗派(近世以前に成立したもの)は、第二次大戦以前には13宗56派が公認されていた。 ここで言う13宗とは、奈良仏教系の3宗(、、)、平安時代初期に成立したと、平安時代後期から鎌倉時代に成立した系4宗(、、、)、系2宗(、)および、近世初期に成立した禅宗系のを指す。 (1939年公布、1940年施行)の施行により、宗祖を等しくする宗派の統合が進められ、従前の56派は28派に整理された。 これは戦時体制下における宗教統制を意図したものだったとされている。 1945年(昭和20年)に宗教団体法が廃止されて以後、従前の宗派の多くが復活するとともに、既成の宗派から分離して多くの教団が誕生した。 華厳宗 [ ]• 大本山() 法相宗 [ ]• 大本山(奈良県奈良市)• 大本山(奈良県奈良市) 法相宗から分離独立した新宗派• 聖徳宗 総本山(奈良県)• 北法相宗 大本山() 律宗 [ ]• 総本山(奈良県奈良市) 天台宗 [ ]• 総本山() 天台系の宗派および天台宗から分離独立した新宗派• 天台寺門宗 総本山(滋賀県大津市)• 天台真盛宗 総本山(滋賀県大津市)• 本山修験宗 総本山(京都市)• 金峯山修験本宗 総本山(奈良県)• 羽黒山修験本宗 本山()• 和宗 総本山()• 粉河観音宗 総本山()• 鞍馬弘教 総本山(京都市左京区)• 聖観音宗 総本山(東京都) 真言宗 [ ] 真言宗十八本山• 高野山真言宗 総本山(和歌山県)• 東寺真言宗 総本山(教王護国寺)(京都市)• 真言宗醍醐派 総本山(京都市)• 真言宗泉涌寺派 総本山(京都市東山区)• 真言宗山階派 大本山(京都市)• 真言宗御室派 総本山(京都市)• 真言宗大覚寺派 大本山(京都市右京区)• 真言宗善通寺派 総本山()• 真言宗善通寺派 大本山(京都市山科区)• 真言宗智山派 総本山(京都市東山区)• 真言宗豊山派 総本山(奈良県)• 新義真言宗 総本山(和歌山県)• 真言宗須磨寺派 大本山(福祥寺)()• 信貴山真言宗 総本山(奈良県生駒郡)• 真言三宝宗 大本山(兵庫県)• 真言宗中山寺派 大本山(兵庫県宝塚市)• 真言律宗 総本山(奈良県奈良市)• 真言律宗 大本山(奈良県) 浄土宗 [ ]• 総本山(京都市東山区)• 大本山(東京都)• 大本山()• 大本山大本願()• 大本山(京都市左京区)• 大本山(京都市左京区)• 大本山(京都市上京区)• 大本山()• 浄土宗捨世派 本山(京都市東山区)• 浄土宗西山深草派 総本山(京都市)• 浄土宗西山深草派 大本山()• 浄土宗西山禅林寺派 総本山(京都市左京区)• 西山浄土宗 総本山(京都府) 浄土真宗 [ ]• 本山(京都市下京区)• 本山(京都市下京区)• 本山(京都市下京区)• 本山(京都市下京区)• 本山(滋賀県)• 本山()• 本山(福井県)• 本山(福井県)• 本山(福井県鯖江市) 時宗 [ ]• 総本山(神奈川県) 融通念仏宗 [ ]• 総本山(大阪市) 臨済宗 [ ]• 臨済宗妙心寺派 大本山(京都市右京区)• 臨済宗建長寺派 大本山(神奈川県鎌倉市)• 臨済宗円覚寺派 大本山(神奈川県鎌倉市)• 臨済宗南禅寺派 大本山(京都市左京区)• 臨済宗方広寺派 大本山()• 臨済宗永源寺派 大本山(滋賀県)• 臨済宗佛通寺派 大本山()• 臨済宗東福寺派 大本山(京都市東山区)• 臨済宗相国寺派 大本山(京都市上京区)• 臨済宗建仁寺派 大本山(京都市東山区)• 臨済宗天龍寺派 大本山(京都市右京区)• 臨済宗向嶽寺派 大本山()• 臨済宗大徳寺派 大本山(京都市)• 臨済宗國泰寺派 大本山() 曹洞宗 [ ]• 大本山(福井県)• 大本山() 黄檗宗 [ ]• 大本山 黄檗山(京都府) 日蓮宗 [ ] 日蓮宗• 日蓮宗 身延山(山梨県)• 大本山 ()• 大本山 (千葉県鴨川市)• 大本山 (千葉県)• 大本山 (静岡県)• 大本山 (東京都)• 大本山 (京都市上京区)• 大本山 (京都市山科区) 法華系仏教諸宗派(50音順)• 総本山(京都市左京区)• 祖山(岡山市)• 総本山(静岡県富士宮市)• 本山(京都市左京区)• 本山(岡山県岡山市)• 総本山(京都市上京区)• 総本山(新潟県)• 大本山(静岡県)・(千葉県)・(兵庫県)・(京都市中京区)• 大本山(京都市上京区)• 大本山(京都市上京区) 修験道 [ ] の項及び真言宗醍醐派の項を参照。

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日蓮宗京都八本山巡り

日蓮宗 大 本山

大石寺(たいせきじ)は、日蓮正宗の寺院であり、寺格は総本山。 正応3年10月12日(1290年11月15日)、第二祖日興によって開創された。 寺号の大石寺は地名の大石ヶ原(おおいしがはら)に由来する。 開基檀那は南条時光。 山号は「多宝富士大日蓮華山」(たほうふじだいにちれんげさん)で、「大日蓮華山」と略すこともある。 日興の法脈を継承し、過去には、勝劣派、宗祖本仏論を奉ずる富士門流に属し、静岡県の駿東地方に分布する 北山本門寺、 西山本門寺、 下条妙蓮寺、 小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成し、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」と称される時代もあった。 明治期には富士門流の統一教団日蓮宗興門派(のち本門宗)の結成に参加、興門八本山より輪番制で就任する同宗の管長には、第4代として日布、第15代として日応などが着任した。 via 大石寺の起源 当山は多宝富士大日蓮華山(たほうふじだいにちれんげざん)大石寺と称し、正応3年(1290)10月、宗祖日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の法嫡(ほうちゃく)・第2祖白蓮阿闍梨(びゃくれんあじゃり)日興上人(にっこうしょうにん)によって開創されました。 寺号の大石寺は、大石ヶ原(おおいしがはら)の地名に由来します。 また開基檀那は、当地・富士上野郷の地頭であった南条七郎次郎時光です。 日興上人は弘安5年(1282)、大聖人から一切の付嘱(ふぞく)を受けられ、大聖人の入滅後、身延山久遠寺(みのぶさん・くおんじ)の 別当職(住職)に就かれました。 しかしその数年後、身延の地頭である波木井実長(はぎりさねなが)が、民部阿闍梨日向(みんぶあじゃり・にこう)のそそのかしもあって、徐々に謗法をおかすようになりました。 師である日興上人は、再三にわたりこれを諫め諭しましたが、波木井実長はまったく謗法を改めようとしませんでした。 そのため日興上人は、かねてより大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺言によって、遂に意を決し、宗旨の根本である本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御灰骨など、一切の重宝を捧持(ほうじ)して、正応2年(1289)の春、身延の山を離れました。 そして大聖人以来の強信者である南条時光の請いに応じて富士へと移り、翌正応3年(1290)には大石寺を建立して、本門戒壇の大御本尊を安置し奉り、また多くの弟子達を養成して、宗門万代の基礎を築きました。 via.

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