亡くなる 前 バイタル サイン。 患者さんに安心してもらうための看護師が出来る声かけとは?

あとどのくらい生きられるか? (予後予測): Dr. Takuya の 心の映像 (image)

亡くなる 前 バイタル サイン

ご質問ありがとうございます。 私自身も長年、介護施設で勤務しています。 何人もの入居者さんを看取ってきましたので、ご参考になればと思い、質問にお答えさせていただきます。 看取りが必要な方がおられると、通常の業務に加えて、定期的にバイタルサインのチェックや観察のために何度も居室を訪問することになり落ち着きませんね。 しかし、終の棲家としてこの施設を選んでいただいた入居者さんのお気持ちに少しでもお答えできるよう、気持ちを引き締めて看取り看護にあたるように心がけています。 施設で入居者さんの看取りを行う場合、どのような状態になったら医師に連絡をして、ご家族あるいは施設の責任者に連絡を取るかといった取り決めのようなものがあると思います。 私が勤務している施設では、訪室したら呼吸が止まってしまっていたということがない看取りを目指しています。 最期は医師の立ち合いのもとでご家族に看取っていただけるようにしたいというのが、看取りに関わる全ての職種の人の思いです。 日中は人手もあり、人の目もあります。 しかし、夜間帯は限られた人数で他の入居者さんの対応もしなければなりません。 夜間帯でもスムーズに医師やご家族への連絡ができるように、一人一人の役割を決めて体制を整えておくことが大切です。 終末期のバイタルサインの変化は人それぞれ 終末期の方のバイタルサインや容態の変化は人によって異なります。 実際、私が施設で看取った方でも、1時間前までは血圧も脈拍もその人の通常のレベルでしたが、1時間後に観察に行くと呼吸停止していたという例が実際にありました。 また、亡くなる1週間位前から徐々に意識レベルが低下し、尿量が減少し、血圧や酸素飽和度が低下して最後に呼吸が停止するという経過をたどる方もいらっしゃいました。 終末期のバイタルサインの変化は同じではなく、人それぞれに違っていることを頭に入れておきましょう。 今、正常な呼吸をしていても、1時間後には大きく変化している場合もあります。 もしくは、今にも呼吸停止しそうな状態に見えても、3日位同じような状態で経過する場合もあります。 一般的な変化がどのようなものかについてお話してみたいと思います。 死期が近づいている人は、亡くなる前の3日間でバイタルサインの大きな変化がみられるとされています。 ・体温はやや上昇する ・血圧の低下(収縮期、拡張期ともに) ・酸素飽和度は徐々に低下し90%以下となる ・呼吸数の大きな変化はない(多くなったり減少したり一定しない) ・強い刺激に対しては反応があったり開眼されることがある そして、死の直前、心停止が起こる8時間以内のバイタルサインは更に悪化し最期を迎えます。 ・下顎呼吸やチェーンストークス呼吸などがみられ、呼吸回数も減る ・血圧が低下し収縮期血圧が50mmHg以下を示し、測定不可能となる ・酸素飽和度が減少し、SpO2が70%を切り徐々に低下する ・四肢にチアノーゼが出現、足の裏などにもみられる ・橈骨動脈が触知不能になる ・強い刺激に対し、反応がなくなる 施設での看取りの場合、数値上は血圧や酸素飽和度の数値が状態を把握するうえで一つの目安になります。 そこで、呼吸状態と意識レベルの状態に応じて、必要な所へ連絡するタイミングを医師に判断してもらいましょう。 死の間際になってご家族を呼ぶよりも、ある程度の時間的余裕を持って最期を看取っていただくのが理想だと思います。 遠くに住んでおられるご家族やご親戚の方には、早めに連絡をしていただくように配慮することも大切です。 おわりに.

次の

死が近づいたとき

亡くなる 前 バイタル サイン

 第3160号 2016年2月1日 【鼎談】 個別性に応えるために必要な 死亡直前と看取りのエビデンス (がん研有明病院緩和ケアセンター ジェネラルマネージャー/副看護部長) (聖隷三方原病院副院長/緩和支持治療科) =司会 (しんじょう医院院長) 近年,人が死亡に至るまでの過程を対象とした実証研究が進んでいる。 その中,死亡直前の医学的問題や看取りに関するエビデンスも蓄積されてきた。 これらの科学的根拠を生かして充実したケアを提供することが,最期の時間を支える医療者に求められている。 本紙では,書籍『』(医学書院)においてターミナルケアに関するエビデンスをまとめた森田氏を司会に,在宅医療をフィールドに活躍する新城氏,がん看護に携わってきた濱口氏の鼎談を企画。 最新のエビデンスに触れながら,それらをどのように活用し,患者・家族に最善の治療とケアを提供していくのか,そのポイントを議論した。 死亡直前に関するエビデンスが集積しつつある 森田 振り返ると,医師になって3-5年目のころ,看取りの時期が近付いた患者の家族から「あとどのぐらいの時間が残されていますか」と尋ねられても,答えに窮していました。 それで「自分の腕が悪いのだろうか」とも悩んだものです。 当時の1995年前後というと,死亡直前から直後までの医学的問題に関するエビデンスが少なかった。 「こういった徴候があればそろそろ」といった曖昧な情報しかなかったのです。 じゃあ自分で詳しく調べてみようと思って調査したものが私の研究の端緒 になったという経緯もあるのですが,近年,こうした「死亡に至るまでの徴候がいつ,どのように生じるのか」という実証研究はさらに進み,エビデンスもずいぶん集積してきましたね。 新城 最近になって,このあたりの研究は進んでいます。 ただ,現場を見ると,まだまだそうしたエビデンスが有効に活用されているとは言いがたいのが実態です。 看取りが近付いてきたときに行われる死亡時期の見立ても,ともすれば科学的根拠はまるで無視され,医療者個人の経験的な,質の低い予後予測が行われていることがある。 患者や家族を欺こうという意図はないにしても,根拠に基づかない予測では,彼らが生活に見通しを立てることには役立ちません。 森田 昔は,死ぬまでの過程を医学教育で教わることなんてほとんどなかった。 そうした背景があるからか,死が差し迫ってきた段階の予測も,経験則のほうが重視されてきたという面があるのだと思いますね。 濱口 「あのベテラン看護師さんに聞けばわかる」といった感じでしたよね。 新城 それは今でも現場にありますよ。 確かに医療者としての直感も大切でしょう。 しかし「ここを見ればわかる」という知見が科学的に示されているわけですから,医療者はポイントを類型化して理解しておく必要があります。 特に,死亡前の徴候を見分け,判断することは,誰にでも身につけられるものですから。 森田 そういう意味では,最近出された死亡直前の徴候についての観察研究が,よりわかりやすい形で死に至るまでの様相を描き出しており,役立つのではないでしょうか。 アンダーソンがんセンターの医師・Huiらは,死亡直前に出る徴候の頻度と出てからの時間を評価し,「出現すれば死亡がかなり近いが,全員に出現するとは限らない徴候」を「晩期死亡前徴候」とし,一方でPerformance Status(PS)や意識レベルの低下など,「ほとんどの患者でみられるが,死亡直前とは限らない徴候」を「早期死亡前徴候」としました。 さらに,晩期死亡前徴候を詳細に分析した上で ,決定樹分析を用いた研究を行い,Palliative Performance Scale (PPS)と,鼻唇溝の垂れ下がり,晩期死亡前徴候の数の組み合わせによって,患者が3日以内に死亡することを80%予測できるという報告を出しています( 図)。 尤度比を取り入れるなど,診断学の要素を盛り込んでいるところがユニークです。 図 身体所見で予測する患者の死亡 『死亡直前と看取りのエビデンス』p12より転載 新城 今までの緩和ケア領域には珍しいタイプの研究ですよね。 でも臨床に合った内容で,予後予測を考える上で大切なポイントが示されています。 濱口 スペシャリストが何を根拠に死亡予測を立てているのかがわかりやすいと思いました。 このように言語化,図式化されているものを看取りの現場に立つ医療者がきちんと押さえることで,「あの人ならわかる」という状況も変わっていくのではないでしょうか。 個別性の尊重をめざすなら,エビデンスが不可欠だ 森田 こうやって緩和ケア・ターミナルケアのエビデンスの重要性を話していると,時に「患者の死亡前後にどう振る舞うべきかを,データに基づいて決めるなんて……」と指摘を受けることがあります。 看取りはこうすべきだという理念のもとに振る舞わなければ,個々の患者に向き合っていくことはできないのではないか,というわけです。 本来,「エビデンスを重視すること」と,「患者・家族の個別性を尊重した治療・ケアを提供すること」は相反するものではなく,両者一体なのですけれどね。 濱口 特に看護師は「エビデンス」という言葉にどこか冷たい響きを感じてしまって,理念先行になりがちかもしれません。 もちろんそれは個別性を支えたいと強く思うが故の態度でもあるので,わからないではないのですが……。 ただ,個々のケースで倫理的に配慮して治療・ケアを選択する上では,むしろエビデンスが重視されるのだと理解しておく必要があります。 医学的適応はまさにエビデンスに基づいて判断する部分ですがそれをそのまま実行するわけでなく,患者・家族の価値観・生活状況などを配慮し,治療・ケアを選択していく。 これは積極的な治療の場面でも看取りの場面でも同様で,個別性を尊重するという視点に立っても,やはり科学的根拠が不可欠になってくるのです。 森田 濱口さんがおっしゃるように,われわれが個別性をきちんと考えるための土台に当たるものが,エビデンスなのだと思いますね。 実際に今,どのような知見・データがあるのかによっても,患者・家族へのかかわり方の方向性は異なりますし,本当に個々の患者・家族のためになる治療・ケアも変わってくるものです。 例えば,看取りが近づいてきたときに行う「苦痛緩和のための鎮静(palliative sedation therapy)」に関する現場の考え方も,学術的基盤が整理されていく中で変遷してきました。 従来,なんとなく現場で行われていた鎮静が,必要な医療行為として定義されたのが1990年代です。 その後,一時期,鎮静が安楽死と区別できない「ゆっくりとした安楽死(slow euthanasia)」であるという論調もあり,当時は多くの専門家が「鎮静すると生命予後が短縮する」という前提のもとに,鎮静という医療行為を用いるべきか否かを現場で考えていました。 しかし,鎮静を受けた患者,受けなかった患者に対し,ある測定時点からの生命予後を比較する観察研究が世界各国で重ねられ,「生命予後を短縮することはない」と明らかになった。 これは日本で行った観察研究でも同様の結果が得られており ,今の現場では鎮静は生命予後に有意な影響を与えないという考えが「前提」となっているわけです。 このように変遷を見ると流動的な側面も感じる一方で,現状のエビデンスを整理して理解しておかねば,患者・家族のためになる治療・ケアを考え,実践していくことも難しくなることがわかると思います。 やはり,われわれはエビデンスを大切にしていく必要があるわけですね。 治療効果のレベルを認識し,手を尽くすことが「臨床の知」 森田 もちろん,「エビデンスに準ずるだけでは不十分」というのは先ほどからのお話からもわかるとおりで,現場ではあらゆる要因を踏まえて,治療・ケアを検討していく必要があります。 例えば,「死前喘鳴(気道分泌亢進;increased bronchial secretions)」への対応を挙げましょう。 死亡が近くなって意識が低下すると,唾液を嚥下できなくなることで,呼吸に合わせて唾液が気道内を前後して「ゴロゴロ」という音が生じます。 この喘鳴の治療に用いられるのが,唾液分泌を抑制する抗コリン薬の舌下または皮下投与です。 つまり,いずれも自然経過による改善であることを否定できておらず,実はプラセボ以上の効果はないかもしれないという状況なわけです。 エビデンスに偏重すれば,「効果がわかっていないことを行う必要はない」と考えてしまいそうな場面と言えるでしょう。 「上記の効果しか見込めない状況下で,どう対応すべきか」という質問を受ける機会は多いのですが,新城先生ならどのように考えますか? 新城 まず自然の経過として起こる症状であり,意識レベルが低下した死亡直前期では呼吸困難感はないと考えられるという説明は行います。 しかし,それだけで済ますのが必ずしも正解ではなく,リスクとベネフィットを開示し,家族と相談しながら薬剤を使用することもありますね。 このような対応を行う背景には,国内で患者の死前喘鳴を体験した家族の調査があります。 当時の気持ちや認識について,約65%の家族は「とてもつらかった」と答えている。 そばで付き添う家族は「患者は苦しんでいるのではないか」と心配で,つらい気持ちになっている状況があるのです。 濱口 そうした場面で「薬剤の効果もないのだから見守っていればよい」と説明しても,家族へのケアにならないということですね。 新城 ええ。 それで「何もできることがない」というのは,家族に無力感を募らせるだけでしょう。 ですから希望があれば,「プラセボ効果しかないかもしれないけど……」「使用者の半分程度の方に効くようだから……」と説明し,薬剤使用も選択肢として提示するのです。 このように,治療・ケアのバリエーションを豊かにし,それぞれがどのぐらいの治療効果が見込めるものなのかを把握しておくことが専門家の役割でしょう。 森田 私も新城先生の実践と同様の姿勢を取ります。 エビデンスでは「それをやっても効果がない」と出るけれど,それを目の前の患者・家族にどう適用するかは別問題であるということですよね。 これは終末期の輸液にも同じことが言えると思います。 家族の自責感というものがあり,家族が「自分たちがもっと早く気付けば手遅れにならなかったのではないか」と思っていて,「何かしてあげられること」として輸液に期待を持つという現象はよく経験されることです。 そのときにエビデンスに基づいて輸液のメリット・デメリットだけを話すことはケアにはなりません。 治療効果のレベルを医師や看護師が認識し,副作用なども含めてしっかりとみるのであれば,家族の思いを酌んで薬剤の使用や輸液などの対応をする。 それこそが「臨床の知」ではないかと思うんです。 心をすり減らすことを「防ぐ」という視点での活用 濱口 先ほど,新城先生がどの程度の人に効果が見込めるかなど,治療効果についても言及されるというお話をされました。 そうしたデータを理解しておくのは,患者・家族のためだけでなく,医療者の心をいたずらにすり減らすことをなくすという点でも意味があるのではないかと考えています。 何らかの治療やケアによって患者に良い効果が見られなかった場合,「自分のケアが悪かったから」「自分に落ち度があったのではないか」と責める看護師も実際にいるのですね。 でも,あらかじめどの程度の人に,どれぐらいの効果が見込めるのかを理解していれば,過剰な期待感を持つことなく,仮に効果が得られなかった場合でも,それを自然なものとして冷静に受け入れられるかもしれません。 森田 なるほど。 確かに責任感の強い医療者は自分を責めてしまうこともありますからね。 新城 私もホスピスで働いていた2000年頃,科学的なデータが十分になかったことで自信を失いかけたことがありますよ。 痛みを訴える患者さんの痛みを緩和すれば,次はせん妄や不眠が起こって悩まされる。 それで行き詰まってしまって,自分たちの治療やケアの在り方に問題があるのではないかと思うようになりました。 しかし,次第に国内外から緩和医療に関する研究論文が出てくる中で,これなら自分たちの病棟の実践を検証できると気付いた。 それを基に改善をめざせばいいのだとわかって,切り替えることができたという経験があります。 森田 すでに示されている効果を正しく認識するための「外的な基準」としてエビデンスを用いれば,過度な期待や自責の念を抱くのを防ぎ,医療者の疲弊を防ぐことにつながっていく,ということですよね。 特に日々当たり前に行っていることだと,その効果と意義がきちんと認識されていないケースもあり得そうです。 例えば,バイタルサインもそうかもしれません。 多くの医療機関で,死亡前も定期的にバイタルサインをチェックしていると思いますが,ルーチンのバイタルサイン測定は,「死亡予測の判断基準としては役立たない」という報告がすでになされています。 仮に医療者がその知見を知らず,単に「少しずつバイタルサインのレートが上がって,急に落ち始めると死が近い」という認識でいるとしたら,ある日,「私が見逃したせいで患者の死亡に気付けなかった」と,傷つく日が来るかもしれません。 濱口 そういう知識は一人で身につけるだけでなく,病棟全体,スタッフ全員で共有できる仕組みが必要です。 いちスタッフとして現場で仕事を続ける,管理職としてスタッフを支えるという意味でも,エビデンスというものの活用法があるのだと思います。 その点,家族側からの視点が質評価の上で大事な指標と考えられています。 実際に,大規模な遺族調査によって「家族からみた望ましい看取りのケア」を明らかにした研究があります。 これをまとめたのが新城先生で,国内のホスピス・緩和ケア病棟で亡くなった患者家族を対象に,患者が亡くなる前後の家族の体験や看取りの時期のケアについて質問紙調査を行なっています。 国際的にも「看取り方」に関する唯一といってよい実証研究でしょう。 新城 家族の体験の中から,つらく感じたことや改善の必要性のある医療者の行為を分析したのですが,すぐに現場で取り組める改善点がわかったのは収穫だったと思います。 医療者の気が付いていないところで家族が心を痛めていることを示せたので,「慣習的な行為」として見逃されていたものも,改善の余地があると呼び掛けることができました。 例えば,死亡宣告もその一つです。 慣例的に心電図モニターで波形が平坦になった瞬間に行われることもありますが,臨終のときに家族が望んでいるのは「家族全員がそろってから死亡確認をすること」であると明らかになっています。 これを受け,私自身,臨終の場に立ち会いたい家族がそろってから,患者の死亡確認を行うように配慮していますね。 森田 私は,患者の苦痛を気に掛けることの大切さがこの研究であらためて実証され,共有された点が一番良かったです。 息を引き取る直前,下顎呼吸や喘鳴,半開眼,呻吟が自然な経過として起こり得ますが,遺族はそれを知らず,臨終後に「最期,苦しそうでしたね」とお話しされることは少なくありません。 そこで医療者が自然経過である旨を説明し,「患者さんは苦しくないと思いますよ」と一言付け加えることも,家族のケアになるのだと再確認できました。 こうした一つひとつの事実をスタッフ間で共有することで,ターミナルケアの質は確実に上がっていくだろうと思います。 濱口 この研究では,亡くなる患者への接し方を遺族に教えたり,一緒に考えたりすることが大切であることも明らかになっています。 この点は看取りの場面に同席することの多い看護師ならば経験的に大事だと思っている方も多いため,かかわる意義が言語化されたことを心強く思うはずです。 例えば,主に看護師が行うエンゼルケアにも生かせそうですよね。 可能な限り家族にも参加を促すことで,満足感のある看取りになるのであれば,現場の看護師もやりがいを持って取り組めると思うのです。 新城 実は,エンゼルケアって世界的に見ると特異的なケアで,海外にはない日本オリジナルの文化なんです。 死に至るまでに見られる徴候といったバイオロジカルな知見は国際的な研究からも十分に学べる。 一方で,看取りには文化的な面もあるので,看取りのケアを充実させるためには,こうした国内研究にも目を向けることが重要だと思います。 * 森田 私たちは,2015年と2016年に国内のがん患者2000人以上を対象に,終末期の予後予測指標を検証するコホート研究「Proval試験」の結果を報告しました。 これを受け,さらに2017年に日本・韓国・台湾で2000人規模のコホート研究を実施できるように計画中です。 これらを通し,「死亡前後の人間に何が起きるのか」は,より明確となり,細かな予測も可能になるだろうと期待しています。 ただ,こうした知見が増えるからといって,そのままよいケアが可能になるわけでもない。 そう思うと,患者の死を前に家族も,医療者も悩みは尽きず,その都度,何が適切な治療・ケアであるのかを真摯に考え続けていくことに変わりはないのでしょうね。 濱口 でも,自分の知識がないから迷っているのか,知識を持った上で迷うのかでは大きな違いがあります。 死という一大事において,知識がないことによって,結果的に患者・家族へのケアの質が下がってしまうという事態は避ける努力をしたいですよね。 新城 そのためには今あるエビデンスによる知識も,10年後には新たなエビデンスによって塗り替えられている可能性があることを念頭に置いておく必要があります。 結局は,標準的なケアと治療の在り方を身につけた上で,新たな情報を追い,自分たちの実践をより洗練させることに意識的になる姿勢が医療者に求められるのだろうと思います。 森田 ありがとうございました。 A prospective study on the dying process in terminally ill cancer patients. Am J Hosp Palliat Care. 1998;15 (4):217-22. [PMID:9729972] 2)Hui D, et al. Clinical signs of impending death in cancer patients. Oncologist. 2014;19 (6):681-7. [PMID:24760709] 3)Hui D, et al. Bedside clinical signs associated with impending death in patients with advanced cancer: preliminary findings of a prospective, longitudinal cohort study. 2015;121 (6):960-7. [PMID:25676895] 4)Hui D, et al. A diagnostic model for impending death in cancer patients: Preliminary report. Cancer. 2015;121 (21):3914-21. [PMID:26218612] 5)Jonsen AR, et al. Clinical Ethics: a practical approach to ethical decisions in clinical medicine. McGraw-Hill:2010. 6)Maltoni M, et al. Palliative sedation in end-of-life care and survival: a systematic review. J Clin Oncol. 2012;30 (12):1378-83. [PMID:22412129] 7)Morita T, et al. Effects of high dose opioids and sedatives on survival in terminally ill cancer patients. J Pain Symptom Manage. 2001; 21 (4):282-9. [PMID:11312042] 8)Wildiers H, et al. Atropine, hyoscine butylbromide, or scopolamine are equally effective for the treatment of death rattle in terminal care. J Pain Symptom Manage. 2009;38 (1):124-33. [PMID:19361952] 9)Heisler M, et al. Randomized double-blind trial of sublingual atropine vs. placebo for the management of death rattle. J Pain Symptom Manage. 2013;45 (1):14-22. [PMID:22795904] 10)Shimizu Y, et al. Care strategy for death rattle in terminally ill cancer patients and their family members: recommendations from a cross-sectional nationwide survey of bereaved family members' perceptions. J Pain Symptom Manage. 2014;48 (1):2-12. [PMID:24161372] 11)Bruera S, et al. Variations in vital signs in the last days of life in patients with advanced cancer. J Pain Symptom Manage. 2014;48 (4):510-7. [PMID:24731412] 12)Shinjo T, et al. Care for imminently dying cancer patients: family members' experiences and recommendations. J Clin Oncol. 2010;28 (1):142-8. [PMID:19901113] 13)Shinjo T, et al. Care for the bodies of deceased cancer inpatients in Japanese palliative care units. J Palliat Med. 2010;13 (1):27-31. [PMID:19827967] 14)Baba M, et al. Survival prediction for advanced cancer patients in the real world: A comparison of the Palliative Prognostic Score, Delirium-Palliative Prognostic Score, Palliative Prognostic Index and modified Prognosis in Palliative Care Study predictor model. Eur J Cancer. 2015;51 (12):1618-29. [PMID:26074396] 15)Hamano J, et al. Surprise Questions for Survival Prediction in Patients With Advanced Cancer: A Multicenter Prospective Cohort Study. Oncologist. 2015;20 (7):839-44. [PMID:26054631] 16)Maeda I, et al. Effect of continuous deep sedation on survival in patients with advanced cancer (J-Proval):a propensity score-weighted analysis of a prospective cohort study. Lancet Oncol. 2016;17 (1):115-22. [PMID:26610854] しんじょう・たくや氏 1996年名市大医学部卒。 JCHO神戸中央病院緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後,2012年に緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。 日本緩和医療学会理事,同学会誌編集長を務める。

次の

医学書院/週刊医学界新聞(第3160号 2016年02月01日)

亡くなる 前 バイタル サイン

死の間際、人の体と心はどう変わるのか?現役看護師の僧侶が、平穏で幸福な死を迎える方法と、残される家族に必要な心の準備を記した光文社新書『死にゆく人の心に寄りそう』(玉置妙憂著)が刊行になりました。 刊行を記念して、『死にゆく人の心に寄りそう』の一部を公開します。 玉置さんが語る「医療と宗教の間のケア」とはどのようなものなのでしょうか? 1)血圧や心拍数、呼吸数、体温などが不安定になる 死までの期間が1か月を切ると、しだいに体のバランスが崩れて、血圧や心拍数、呼吸数、体温などが不安定になります。 私たちの体は、ホメオスタシス(恒常性)を保つために非常な努力をしています。 恒常性とは、体の内外の環境が変わっても一定の状態を保つことです。 たとえば体温は、冷たいものを飲んでも熱いものを飲んでも、寒くても暑くても、36度前後に保たれています。 心拍数や呼吸数なども、運動をすれば増えますが、じきに元に戻ります。 私たちが一個の独立した生物として生きていくには、恒常性を保つ必要があり、恒常性を保てることが、すなわち生命力がある証拠です。 着地態勢に入った人には、恒常性を保つだけの力が残されていません。 そのため血圧、心拍数、呼吸数、体温などが、これといった原因がなくても上がったり下がったりして、しかも振り幅が大きいのです。 その影響を受けて、体にも変化が表れます。 たとえば、暑くもないのに、肌に触れるとベタッとしていることがあります。 これは、血圧が急に下がって冷や汗をかいているのです。 私たちの場合、急な冷や汗はなにかしらのトラブルが原因で起こることが多いのですが、そのような特別な原因がなくても、血圧が下がって冷や汗が出るのです。 また、肌や爪、手足の血色が悪くなり、黄色っぽくなったり青白くなったりします。 これは、血圧が下がって体の隅々まで血液が回らなくなったことと、呼吸機能が落ちてガス交換がうまくいかず、酸素を十分に取り込めなくなったことが原因です。 酸素を十分に取り込めないと、酸素と結合した鮮赤色のヘモグロビンの割合が減り、酸素と結合していない暗赤色のヘモグロビンの割合が増えて、血液が真っ赤ではなくなります。 そのため肌や爪が黄色っぽく見えたり、手足の先が青白くなったりするのです。 さらに、飲み込む力が弱くなって、液状のものも飲み込みにくくなります。 食欲はなくても液状のものなら飲むことができていたのが、それもできなくなっていくのです。 これらはすべて、着地点に向かう人にとっては自然なことですが、健常者に同じことが起これば緊急事態です。 そのため、血圧が急に下がったり水が飲めなくなったりすると、「たいへんだ、なんとかしなくては!」と慌てて、救急車を呼んでしまうことがあります。 救急車で運ばれれば、昇圧剤や水分などを点滴されます。 昇圧剤を点滴すれば血圧は保てますが、その効果は永遠ではありません。 体の変化に抗あらがえず、やがて血圧はまた下がり、心停止に至ります。 水分の点滴は、着地点に向かっている人にとっては、効果よりも負担の方が大きくなってしまう場合があります。 臓器の機能が落ちているため、入れた水分が吸収できずに溜まっていき、体がむくんでしまうのです。 2)痰が増え、しばらくすると元に戻る 亡くなる2週間から1週間ほど前になると、痰が増えてゴロゴロ音がします。 痰が口から溢れるほどの場合には、必要最小限の吸引をしますが、そうでなければ何もしなくても、2、3日で自然に痰は消えます。 ただし、点滴をしていると痰はどんどん増えていきます。 人によっては、亡くなる数日前から数時間前に、痰が増えてゴロゴロ音がすることがあります。 これを「死前喘鳴」(しぜんぜんめい)と呼びますが、痰の増加が起こる時期の違いであり、現象としては2~1週間前に起こる痰の増加と同じです。 私たちの気管は、粘液で被われています。 呼吸によって取り込まれたほこりや細菌などの異物をキャッチするためですが、一方、粘液が流れ落ちて肺に入ると肺炎を起こします。 そのため、気管には線毛と呼ばれる細かい毛がたくさん生えていて、それが運動して粘液と異物を喉の方に押し出しています。 これが痰ですが、線毛運動がこの頃になると弱まってくるため、外に出せなくなって痰が溜まるのです。 痰が絡んでゴロゴロ音がしたりすると、私たちは「苦しいだろう」と思って心配になりますが、実は本人はそうでもないようです。 通常であれば、痰が増えるのは、細菌やウイルスに感染したときです。 細菌やウイルスは私たちにとって異物ですから、感染して増殖すると、それを体の外に出そうとして痰も増えます。 感染による炎症も起こっていますから、喉が痛いし咳も出ます。 それで苦しいのです。 ところが、着地点に向かう人の場合は、細菌やウイルスに感染しているわけでも、炎症が起こっているわけでもありません。 線毛運動が弱まって、溜まった粘液がゴロゴロしているだけです。 そのため、端から思うほど本人は苦しくないと言われているのです。 この痰は2、3日すると自然に消え、元の呼吸に戻ります。 線毛運動が弱まった、それまでよりも低いレベルで、調子が整ったのだと考えられます。 ただしこのとき、点滴を入れていると、いつまで経っても痰が消えません。 痰の材料は水分だからです。 点滴を入れることでどんどん材料を供給しているのですから、痰も無尽蔵に作られます。 そうなれば、痰を吸引せざるを得ません。 ところが、吸引するための器具を気管に入れることで、さらに痰が増えてしまいます。 器具は気管にとって異物ですから、排出しようとして痰を増やすのです。 この悪循環に陥ると、最初は1時間に1回の吸引でよかったのが、30分に1回になり、10分になり、5分になりと、最後は痰との戦いになってしまいます。 3)夢か現かわからない不思議な幻覚を見る この頃になると、1日のほとんどを眠って過ごすようにもなります。 そして、夢とも現ともわからない不思議な幻覚を見たり、意味のない体の動きをしたりします。 意味のない体の動きとは、暑いわけでもないのに、布団を掛けても掛けてもはいでしまう、というような動きです。 不思議な幻覚とは、亡くなった家族や実在しない人と会ったり、知らない場所に行ったりしたことを、現実のようにリアルに体験することです。 言われた自分の気持ちがザワザワするからです。 否定せずに、本人の世界を認めながら聞くことが大切です。 病棟にいた頃、私も患者さんから不思議な話をよく聞きました。 あとから数えれば、亡くなるまで3週間を切っていた患者さんに、「毎晩、船が来る」という話を聞いたこともありました。 毎晩、毎晩、船が来て、船頭に「乗せてくれ」と言うのだけれど、いつも乗せてもらえない。 船が空なのに乗せてもらえない、と言うのです。 医学的には、このようなお迎え現象は、脳が酸欠になっているために見る幻覚だとされています。 亡くなるまで1か月を切る頃には、ガス交換がうまくいかず、慢性的な呼吸不全に陥る場合があります。 そのため、体内では酸素が不足してきます。 体内で最もたくさん酸素を使うのは脳ですから、脳が最初に酸素欠乏に陥ります。 そして、酸欠になると脳は幻覚を見るのです。 それは、高山病になると幻覚を見ることなどからもわかっています。 ただ、このように科学的な説明はつくのですが、いろいろな患者さんの話を聞くと、それだけでは説明がつかないことがあるような気もします。

次の