出雲雑談。 「生きている出雲王朝」をゆく@出雲2020

「生きている出雲王朝」をゆく@出雲2020

出雲雑談

こんばんわ、由緒正しきおっさんの在り様、「をゆく」です。 笑 今回は「歴史の中の日本」(中公文庫)の一項、「生きている出雲王朝」です。 司馬先生の親しい新聞記者が、出雲の「カタリベである」ことを知るところから物語は始まります。 そこから出雲に興味を持った先生が、出雲を訪れるのですが、これまた作家先生の卓越した表現に心酔いたしまして、まずはそこからご紹介いたしたいと思います。 出雲への車中、山脈を越える悪路に体力をひどく消耗させられた先生は、「疲れれば疲れるほど、めざす目的地への魅惑が、強烈な悪酒のように私を酔わせた。 体力の消耗が、私のイリュージョンをいよいよかきたてるらしかった。 」 いわゆる車酔いを、これから古代王朝史を探りにゆくという魅惑の「酔い」に変換し、歴史ミステリーをわくわくしながら待つ読者の期待を膨らませてくれます!私も同じ事を言いたくて、「歴史探訪を楽しむには、妄想力が重要です!」という表現になってしまうこの凡人感・・笑 古代出雲王朝というミステリアスな歴史探訪へのワクワク感を共有できる「友達」は、私にとってもはや司馬先生その人だけなのであります!笑 飛行機の窓外にを望み、既に神域へと入っている気持ちになり、「私のイリュージョンはいよいよかきたてられ」ました! さて、。 とという男女の神によって大地が生まれ、地上世界に日本列島が産まれます。 天上世界を「」、地上世界を「」、死者世界を「黄泉の国」と大別され、神々はその世界間を自由に行き来しています。 こうした「神話」は、私はこれまで完全なるファンタの世界として、まったく興味がありませんでした。 しかし、幕末の、政体の変化を追ううちに、というのもは何かを示唆し、決して見えないながらも何かを伝えているものではないか?という思いに至りました。 つまり、リアルな何かを隠しつつも、後世に伝えんとしている「物語」なのではないか、と。 出雲王朝とはなんだろうか・・?それにはまず、出雲民族とは?という出発点が必要になります。 「をゆく」に戻りましょう。 大陸のあたりの人種?が列島に渡来したような話が出ていますが、北方はから経由であったり、私事、二年間暮らした秋田にも大陸渡来説がありましたし、北陸あたりに入ったり、北から沿いを南下してきたことも考えられましょう。 鉄器文明を背景として出雲に兄弟な帝国を建てた、つまり神話における「トヨアシハラナカツクニ」を制覇したのが出雲王朝という事になりましょうか。 そして、その何代目かの帝王が、「」(ノミコト)なのでしょう。 そして出雲と言えば、「出雲の国譲り」です。 ここからは「うめじ論」と「」と融合にて話を進めていきたいと思います。 タカアマハラの神々が相談の上、アシハラナカツクニのの回収を決定し、出雲の統治者であるにを派遣します。 から民族が押しかけ、国を譲れと迫ったわけです。 その談判が「稲佐ノ浜」で行われた、と。 民族、すなわち。 どちらも大陸渡来民族と見れば「同じ」なのですが(後に「出雲化」することを考えると結局同じ事にも思えるが)、これにより、出雲王は永久にの政治には関与しないという協定を結び、出雲王族は身柄を大和に移されました。 ところが、が現人神でいる限り、現地人の尊崇を集めての占領統治がうまくいきません。 そこで、「天日隅宮に住むべし」、に住むべしとされ大社に押し込まれました。 つまりは殺されて、「祭神」とされ、に鎮められたというストーリーです。 そしてはの斎主となることによって、祭国主命の代行者という立場で、出雲における占領統治を正当化したというのです。 この「出雲の国譲り」に際して、巨大社殿を建てた、と言われています。 直径1. 35mの杉材3本を束ねてあったとう「宇豆柱」が発掘されていますが、十六丈(48m)もの(三十二丈96mという伝承もある)巨大ピラミッド的社殿を造らねば、出雲の民心は安まらなかったということでしょうか。 今回は、それを再現している模型を見るのを楽しみにしていたのですが、時は2020年2月、東京上野のに展示が行ってしまっていて、現地の「古代出雲歴史博物館」は休館中・・・。 やはり、妄想力だけが頼りです・・苦笑 がの「斎主」になることによって、やがて「出雲化」します。 新しい支配者()は土着出雲人と同化したのです。 系の子孫がとなり、現代に至るまで続いていると書かれていました。 非常に面白い記載が、「いまのの家であり国造家である千家氏、北島氏の家系、と相ならんで日本最古の家系であり、史上のいかなる戦乱時代にもこの家系はゆるがず、いかなる草莽の奸賊といえどもこの家系を畏れかしこんで犯そうとはしなかった。 その理由は明らかである。 この二つの家系が、説話上、日本人の血を両分する系と出雲系のそれぞれ一方を代表する神聖家系であることを、歴代の不逞のも知っていたのであろう」 このいわゆるにも、幕末のと古代王朝の時代との繋がりが見え隠れするようで、つまるところ幕末政治体制の動きと、古代王朝時代からのヒントがうすぼんやりと透けてくるようで、私の興奮のポイントが浮き彫りになるような気になるのです。 かつて司馬先生が新聞社の文化部にいらした時、「子孫発言」という連載企画を担当されたことがあって、その時、家の千家尊祀氏に原稿を依頼した際に、いんぎんに断られたといいます。 理由は、「わが家は古来、の政治に触れることができない」から。 新聞への寄稿が政治行為であるか否かは別として、がに国を譲ったときの条約が、なおこんにちまで生きているという事に大変驚いた、と書かれています。 そして言います 「この条約が生きているかぎり、出雲には、なお形而上の世界で出雲王朝が生きているといっていい」 う~む・・・面白い・・・。 「出雲の国譲り」の実情(真相?)に関しての深掘りはここではいたしませんが(まだまだ勉強が足りません・・)、今回出雲を訪れて、非常に面白かったです。 更にこの後、私は古代遺跡を巡るのですが、出雲王朝と発掘された銅剣や銅鐸、銅鉾との関連、そうした事はまた今後に譲ることといたしましょう。 ここまでお付き合い、ありがとうございました。 a-jyanaika.

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T・ジョイ出雲(出雲市)上映スケジュール・上映時間:映画館

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Contents• 出雲福徳神社とは? どういった神社? 島根県の出雲大社より分霊し、この地に鎮座された神社です。 創建は1932年(昭和7年)になります。 主祭神は、大国主命・事代主命・神日本磐余彦命・三宝荒神です。 御神徳は、縁結び・商売繁盛・福徳円満・家内安全・五穀豊穣・国土安穏・火災予防と、幅広いものとなっています。 毎年1月5日には、「五日えびす大祭」が行われ、露店も出てにぎやかです。 境内の雰囲気は? 境内全体は、写真の通りとなっており、比較的小さな神社になります。 境内で一際目を引くのが、社殿前に安置されている大黒様と恵比寿様の石像です。 そして、こちらの大黒様と恵比寿様の石像のお腹をさすると、宝くじが当たるといういわれがあり、実際、 全国から寄せられたお礼の手紙などが、境内には数多く貼られています。 石像前にある看板には、「大願成就」と書かれていたので、僕は宝くじのことではなく、もちろん健康のお願いをしておきました。 が、宝くじも念のため買った方がいいかな?(笑) 他にも、金精大明神があり、子孫繁栄や安産・身体健全祈願所となっています。 御朱印(グッズ)の授与日は、 火、木、土、日曜、祝日の10~16時のみとなっていますのでご注意下さい。 こちらの御朱印の特徴は、大黒様の印です! 可愛いですよね。 見ているだけで福が舞い込んできそうな氣がします(笑) 他にも社務所にはいろいろなモノがありました。 金色に輝く神社オリジナルの御朱印帳も目立っていましたが。 中でも、 「福の神カード」(700円)、「金運御守」(500円)の2アイテムは大人気で、福と金運を招いてくれるグッズとして、参拝者の多くの方が購入していくそうですよ。 以上、岐阜県中津川市にある「出雲福徳神社」について、御朱印と共に紹介させていただきました。 中津川市の中心地からは少し外れていますが、境内の石像や御朱印に見応えがある上に、金運成就のパワーがかなり大きな神社ですので、 中津川へ観光に行かれる際には、是非立ち寄ってみてほしいです。 それでは、本日もありがとうございました! スポーツ好きの一般人でしたが、5年間の病気(1年寝たきり)を経験し、現在は車いすなども利用しながら、なんとか楽しんでやろう!ともくろんでいるGoroのブログです。 そして、人間の持つ可能性を感じていただける一助になるようなブログを書いていきたいと考えています。 「パラスポーツ」「寺社仏閣・御朱印巡り」「前向きになれる言葉」「病気から学んだ人生の捉え方や自然治癒力のすごさ」など、そんなことを交えながら楽しい時間を共有できたら嬉しいです。 最終的に、自転車で日本一周を達成するブログになります。 寝たきりだった人間が、「そこ」までたどり着く過程を共有してやって下さい、笑ってやって下さい、そんなハートフルな物語?を皆さんと一緒に作っていくことが目標です!.

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【中津川市】大黒様印の御朱印と金運を呼び込む恵比寿様が人気の「出雲福徳神社」|病気から学ぶ「心身の健康」

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こんばんわ、由緒正しきおっさんの在り様、「をゆく」です。 笑 今回は「歴史の中の日本」(中公文庫)の一項、「生きている出雲王朝」です。 司馬先生の親しい新聞記者が、出雲の「カタリベである」ことを知るところから物語は始まります。 そこから出雲に興味を持った先生が、出雲を訪れるのですが、これまた作家先生の卓越した表現に心酔いたしまして、まずはそこからご紹介いたしたいと思います。 出雲への車中、山脈を越える悪路に体力をひどく消耗させられた先生は、「疲れれば疲れるほど、めざす目的地への魅惑が、強烈な悪酒のように私を酔わせた。 体力の消耗が、私のイリュージョンをいよいよかきたてるらしかった。 」 いわゆる車酔いを、これから古代王朝史を探りにゆくという魅惑の「酔い」に変換し、歴史ミステリーをわくわくしながら待つ読者の期待を膨らませてくれます!私も同じ事を言いたくて、「歴史探訪を楽しむには、妄想力が重要です!」という表現になってしまうこの凡人感・・笑 古代出雲王朝というミステリアスな歴史探訪へのワクワク感を共有できる「友達」は、私にとってもはや司馬先生その人だけなのであります!笑 飛行機の窓外にを望み、既に神域へと入っている気持ちになり、「私のイリュージョンはいよいよかきたてられ」ました! さて、。 とという男女の神によって大地が生まれ、地上世界に日本列島が産まれます。 天上世界を「」、地上世界を「」、死者世界を「黄泉の国」と大別され、神々はその世界間を自由に行き来しています。 こうした「神話」は、私はこれまで完全なるファンタの世界として、まったく興味がありませんでした。 しかし、幕末の、政体の変化を追ううちに、というのもは何かを示唆し、決して見えないながらも何かを伝えているものではないか?という思いに至りました。 つまり、リアルな何かを隠しつつも、後世に伝えんとしている「物語」なのではないか、と。 出雲王朝とはなんだろうか・・?それにはまず、出雲民族とは?という出発点が必要になります。 「をゆく」に戻りましょう。 大陸のあたりの人種?が列島に渡来したような話が出ていますが、北方はから経由であったり、私事、二年間暮らした秋田にも大陸渡来説がありましたし、北陸あたりに入ったり、北から沿いを南下してきたことも考えられましょう。 鉄器文明を背景として出雲に兄弟な帝国を建てた、つまり神話における「トヨアシハラナカツクニ」を制覇したのが出雲王朝という事になりましょうか。 そして、その何代目かの帝王が、「」(ノミコト)なのでしょう。 そして出雲と言えば、「出雲の国譲り」です。 ここからは「うめじ論」と「」と融合にて話を進めていきたいと思います。 タカアマハラの神々が相談の上、アシハラナカツクニのの回収を決定し、出雲の統治者であるにを派遣します。 から民族が押しかけ、国を譲れと迫ったわけです。 その談判が「稲佐ノ浜」で行われた、と。 民族、すなわち。 どちらも大陸渡来民族と見れば「同じ」なのですが(後に「出雲化」することを考えると結局同じ事にも思えるが)、これにより、出雲王は永久にの政治には関与しないという協定を結び、出雲王族は身柄を大和に移されました。 ところが、が現人神でいる限り、現地人の尊崇を集めての占領統治がうまくいきません。 そこで、「天日隅宮に住むべし」、に住むべしとされ大社に押し込まれました。 つまりは殺されて、「祭神」とされ、に鎮められたというストーリーです。 そしてはの斎主となることによって、祭国主命の代行者という立場で、出雲における占領統治を正当化したというのです。 この「出雲の国譲り」に際して、巨大社殿を建てた、と言われています。 直径1. 35mの杉材3本を束ねてあったとう「宇豆柱」が発掘されていますが、十六丈(48m)もの(三十二丈96mという伝承もある)巨大ピラミッド的社殿を造らねば、出雲の民心は安まらなかったということでしょうか。 今回は、それを再現している模型を見るのを楽しみにしていたのですが、時は2020年2月、東京上野のに展示が行ってしまっていて、現地の「古代出雲歴史博物館」は休館中・・・。 やはり、妄想力だけが頼りです・・苦笑 がの「斎主」になることによって、やがて「出雲化」します。 新しい支配者()は土着出雲人と同化したのです。 系の子孫がとなり、現代に至るまで続いていると書かれていました。 非常に面白い記載が、「いまのの家であり国造家である千家氏、北島氏の家系、と相ならんで日本最古の家系であり、史上のいかなる戦乱時代にもこの家系はゆるがず、いかなる草莽の奸賊といえどもこの家系を畏れかしこんで犯そうとはしなかった。 その理由は明らかである。 この二つの家系が、説話上、日本人の血を両分する系と出雲系のそれぞれ一方を代表する神聖家系であることを、歴代の不逞のも知っていたのであろう」 このいわゆるにも、幕末のと古代王朝の時代との繋がりが見え隠れするようで、つまるところ幕末政治体制の動きと、古代王朝時代からのヒントがうすぼんやりと透けてくるようで、私の興奮のポイントが浮き彫りになるような気になるのです。 かつて司馬先生が新聞社の文化部にいらした時、「子孫発言」という連載企画を担当されたことがあって、その時、家の千家尊祀氏に原稿を依頼した際に、いんぎんに断られたといいます。 理由は、「わが家は古来、の政治に触れることができない」から。 新聞への寄稿が政治行為であるか否かは別として、がに国を譲ったときの条約が、なおこんにちまで生きているという事に大変驚いた、と書かれています。 そして言います 「この条約が生きているかぎり、出雲には、なお形而上の世界で出雲王朝が生きているといっていい」 う~む・・・面白い・・・。 「出雲の国譲り」の実情(真相?)に関しての深掘りはここではいたしませんが(まだまだ勉強が足りません・・)、今回出雲を訪れて、非常に面白かったです。 更にこの後、私は古代遺跡を巡るのですが、出雲王朝と発掘された銅剣や銅鐸、銅鉾との関連、そうした事はまた今後に譲ることといたしましょう。 ここまでお付き合い、ありがとうございました。 a-jyanaika.

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