金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に。 鑑賞 近代秀歌

「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」の作者は誰か。また、その歌が載っている本を探し...

金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に

ポプラかな 富野小学校の南東角に大きな銀杏の木が色付いてきました。 金色のち鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に 葉っぱが道路に落ちて車がスリップするからこの木は切り倒す、と宣告されたことがありました。 地域の有志に頼まれて、この短歌を携えてにお願いしたら沙汰やみになったことがありました。 川の土手にV字型をしてすっくとそそり立つ二本の幹はなんでしょうか。 ひょっとするとポプラかなとは思うのですが、よく分かりません。 どうしてここに生えているのかも分かりません。 橋のたもとには50数年前にと欄干の隙間を突き抜けて小野川へ転落し命を亡くした方たち6名の霊を慰める観音様が立てられています。 チガヤの穂が一列に並んで風にそよいでいました。 幼いころ、まだ茎の中にある幼い穂をかじったものです。 富野保育園へすみれちゃんを連れに行くと、園庭の端に純白のが咲き誇っています。 純白はウディングドレスを連想させて、なんだか楽しくなりました。 や 花嫁写真 繰ってみる も今が紅葉の盛りです。 午後に厚くて重そうな雲が大にのしかかりました。 の山々は黄葉と初雪が一緒にやってきています。 君逝きて モンツキババが 敬礼す 3年前に亡くなった方のことを思い出させるがカッカッと火打石を叩きます。 heisei35.

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「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」の作者は誰か。また、その歌が載っている本を探し...

金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に

p-13 金色 ( こんじき ) の ちひさき 鳥 ( とり ) の かたちして 銀 ( いて ) 杏 ( ふ ) ちるなり 夕日の 岡 ( おか ) に 【作 者】 与 ( よ ) 謝 ( さ ) 野 ( の ) 晶子 ( あきこ ) 【歌 意】 イチョウの葉は、まるで金色の小さい鳥が舞うように、散っていくことよ、夕日の光に照らされて輝く岡に。 普通 「公孫樹」 と書く。 「銀杏」 と書くのは、もともとは種を指したのに基づく。 【鑑 賞】 晩秋の黄昏時、イチョウの葉が散っていく光景を、鮮明な色彩と映像間隔でとらえた歌である。 まずこの歌の面白さは、 「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちる」 という比喩表現にある。 扇形のイチョウの葉が風に吹かれて、あちらこちらへと漂うさまが、まるで金色の小さな鳥が飛び交わっているかのようだという。 晶子の豊かな想像力によって生み出されたこの比喩から、イチョウの葉が枯葉であるにもかかわらず、自ら意志をもって舞っているかのような躍動感が感じられる。 また、黄色に色づいた葉が、夕日に染まった岡を背景に散っていくという情景も鮮やかで、一枚の絵画を見ているような美しさがある。 この歌では、自然を写生しようとしたわけではないが、対象を耽美的な精神でとらえることで、より自然の実相に迫るものとなっている。 さらに、上の句に 「金」 下の句に 「銀」 という語を配し、文字上でも華やかな印象を与えるものとなっている。 鳥に見立てられたイチョウの葉と 「夕日の岡」 という雄大な光景を対比的に用いることで、葉の小ささを印象づけ、それが散ってゆく姿に対する、はかなさを際立たせている点も見過ごせない。 【補 説】 この歌は、明治三十八年 1805 の 「明星」 一月号の 「春の夢」 に発表され、同年敢行の第四歌集 『恋衣』 山川登美子、茅野雅子との合同歌集 に収められた 同年二月号の 「明星」 の中で、星下郊人 生田長江 は、この歌を評して 「女史が奔放限りなきファンタジアの力に驚嘆するばかりでなく、亦何となく女王の御前に導かれて行きでもするかのような、一種おごそかな感じが起こる」 と述べている。 後年、晶子はこの歌の五句目 「夕日の岡に」 を 「岡の夕日に」 と改めている。 【作者略歴】 明治十一年 1878 大阪府生まれ、昭和十七年 1942 没、享年六十四歳。 明治三十三年 1900 「明星」 に歌を発表し始め、翌年、歌集 『乱れ髪』 を出版し、与謝野鉄幹と結婚する。 歌集 『乱れ髪』 は、青春の情熱を歌い上げ、浪漫主義運動の中心となる。 歌集には 『恋衣』、『白桜集』 昭和十七年 など多数ある外、『源氏物語』 をはじめとする古典の現代語訳や評論などもある。 日本女子大学付属中学校非常勤講師 壬生 里巳.

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銀杏のこと

金色 のち ひさ き 鳥 の かたち し て 銀杏 ちる なり 夕日 の 岡 に

昨日は銀杏の落ち葉散り敷く道を銀輪散歩し、黄色の世界を堪能致しましたが、「銀杏」で思い浮かぶ短歌と俳句は・・と思い返すも意外に浮かんでは来ない。 金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に(与謝野晶子) と 鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺 (夏目漱石) 位なものでしょうか。 (大阪城公園の銀杏) 考えてみれば、銀杏は万葉集には登場しない。 古今集や新古今集には登場するのかどうか、調べてはいないので知らないが、古歌とはあまり馴染まないのが「いてふ」のようでありますな。 何でも、銀杏は中国原産で我が国には平安時代から鎌倉時代にかけて入って来たとされているようです。 源実朝が殺されたのは鶴岡八幡宮の銀杏の大木の陰に隠れ潜んでいた公暁によってでありますから、鎌倉時代には銀杏の大木が存在する状況であったことになる(笑)。 藤原定家は知っていたが大伴家持は知らなかった。 それが銀杏でありますな。 万葉で「もみぢ」と言えば「黄葉」と書くのが一般的で「紅葉」と書くのは1首あるのみとのこと。 奈良時代に銀杏の木が普通に見られる状況であったら、大伴家持もきっと「銀杏」の歌を詠んだに違いないと思うのですが、残念です(笑)。 しぐれたる のちの晴れ間を いざ行かな もみついてふの 葉の照るも見む (偐家持) (本歌) この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む (大伴家持 万葉集巻19-4226) (同上) (同上) 街路樹に最も多く採用されているのが銀杏の木であるらしい。 大阪の御堂筋がまさにそれですな。 それかあらぬか銀杏は大阪府の木でもあり、大阪大学の木でもある。 そして八尾市(大阪府)の木も銀杏だそうな。 (同上) (同上) (同上).

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