ブルーハーツ ナビゲーター。 【玄人ファンが選ぶ】ブルーハーツのバラード曲ランキング!

ブルーハーツの言葉(歌詞)名言まとめ【全若者の魂の教科書】

ブルーハーツ ナビゲーター

概要 [ ] 結成。 1987年にシングル「リンダリンダ」でメジャーデビュー。 解散後も、彼らの楽曲は近年でもCMやドラマや映画などに多く使われている。 主にボーカルの甲本ヒロト、リードギターの真島昌利が作詞作曲を担当した。 THE BLUE HEARTSのやの書く詩は、NHK「」の「言葉の力・詩の力」(講師) 中でも、その文学性が高く評価されている(なお、教材本文の講義は、2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。 『』から『』までの前期三部作は、ブルースをルーツとしたメッセージ性の強い、独自の日本語ロックの世界を構築していたが、イーストウェスト移籍後からの後期作品は、後のに繋がる様々なスタイルを取り入れ、メッセージ性を無視した楽曲も多い。 メンバー [ ]• (こうもと ひろと、 - )- (・)、、 愛称は「 ヒロト」。 低音の効いた太い声が特徴。 たまに吹くブルースハープは独学で、高いレベルまで達しているが、ベントやトレモロなどの技術は「偶然できた」とのこと。 演奏する曲によってギターを弾くこともある。 テレビなどのインタビューで答えるのは、ほとんど甲本が担当。 デビュー時は坊主頭だった。 河口と一緒に金髪に染めている時期もあった。 (ましま まさとし、 - )- ・ボーカル(コーラス・リードボーカル) 愛称は「 マーシー」。 歌う時はしゃがれ声が特徴。 他の3人に比べれば、テレビなどに出演してもあまり喋らず、表情を変えないことが多い。 甲本とは、およそ半々の割合で曲を創り上げた。 頭のバンダナがトレードマークだが、インディアン風の格好をしたりもしていた。 (かわぐち じゅんのすけ、 - ) - 、コーラス 愛称は「 河ちゃん」。 結成当初はバンドのマネージメントを行っていたが、半年ほどでベースが脱退したため急遽85年8月に正式メンバーとして加入。 本名は 河口 宏之(- ひろゆき)で、当初は本名を名乗っていたが、デビュー直前あたりから「純之助」を使用する。 ベース以外にも真島と共にコーラスを多く担当。 歌う時は真島と対照的な高音の澄んだ歌声が特徴だった。 甲本と一緒に金髪に染めている時期もあった。 (かじわら てつや、 - ) - 愛称は「 梶君」。 元々はブルーハーツのファンで、ライブチケットのモギリなどをやっていた。 その後ドラムの脱退を知り、ヒロトの自宅にしつこく電話してオーディションを受けさせてもらい、86年4月に正式メンバーとなる。 モヒカンヘアーが特徴であるが、参加当初の髪型はモヒカンではなく角刈りに近いヘアスタイルであり、後期には長髪にして結っていたこともある。 過去に在籍したメンバー [ ]• 望月正水(もちづき まさみ)- 愛称はマサミ。 結成当初のメンバーであるが飲酒問題で体を壊し、半年ほどでバンドを脱退している。 音源としては1985年6月7日で録られた音源のベーシストは脱退直前の彼だと思われる。 脱退後は自動車のレッカーマンとして働きながらの島キクジロウ等と共に「キャバレッツ」を結成。 (はなぶさ りゅうすけ、 - )- 愛称はリュースケ。 1986年3月に脱退しているが、1985年に無料配布されたソノシート「1985」で彼の演奏を聴く事が可能である 「1985」はベストアルバム『SUPER BEST』に収録されている。 その他、彼が演奏する音源は比較的現存している。 また、映像としては「ブルーハーツが聴こえない〜HISTORY OF THE BLUE HEARTS」の1985年の映像は1985年12月24日都立家政スーパーロフト にて行われたTHE BLUE HEARTS初のワンマンライブ「世界一のクリスマス」であり、英がドラムをたたいているのも微かに確認することができる。 また、同ライブでは、甲本が「」前のMCでは英の名前をあげている。 ブルーハーツ脱退後はやのバックバンドやスタジオミュージシャンとして活動。 損害保険の調査員、トラックやタクシーのドライバー等を経験したのち、ホテルなどで馬車を運行する会社を立ち上げる。 2017年1月、白血病にて他界。 山川のりを(やまかわ のりを、 - )- 愛称はのりを。 望月脱退後、ほんの2か月ほどサポートメンバーとして活動していた。 グレイトリッチーズの全国ツアーが始まるのを機に脱退した。 ライブのMCでは、今年一杯はメンバーでいるといったことも言っていた。 音源としては、1985年7月25日で録られた音源がある。 同時期に ・・中曽根章友と共にとして活動。 一時期真島のソロツアーにも参加していた。 (さとう しんいちろう、 - )- 愛称はシンちゃん。 英竜介脱退後から梶原が正式加入するまで、サポートドラマーを担当していた。 その際の音源はオムニバス盤『』にて確認することが可能である。 また、映像としては、入手困難だが1986年3月20日のの映像 と題されている でTHE BLUE HEARTSのドラマーとして叩いているのが唯一確認できるものである。 のメンバーと親交が深い。 サポートプレイヤー [ ]• (しらい みきお、 - )- ON TOUR 1989(1989年5月3日 - 同31日)から解散するまでの間、とでキーボードを担当。 真島の友人であった杉浦逸生の紹介でブルーハーツに参加。 サポートでありながら、アルバム『』の歌詞カードでは顔写真付きで紹介されたり、『』にブルーハーツが出演した際は、演奏のみならずスタジオトークにもメンバーと共に並んで出演していたり、ライブ時には甲本ヒロトから5人目の仲間として紹介されるなど、ブルーハーツの中では正式なメンバーとしての意識があった。 伝説のバンドのメンバー(第4期-)で、やのバックを務めた事もある実力派だが、ピアノは全くの独学で、「ギターコードを鍵盤に乗せただけ」と、ファンクラブの会報で答えている。 後のでも正式メンバーとして活動し、2003年に同バンドを脱退した。 来歴 [ ] 1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかったと、の3人はのバイト先で出会い、Traditional(トラディッショナル)というセッションバンドを行ったり、バンドの事について語り合ったりして飲んだり遊んだりしているうちにお互いに意気投合しあっていった。 1984年11月11日、「ロードサイド・ロッカーズ」というイベントで、Vo. 甲本ヒロト、Gu. コハマ(元FACE)、Dr. 不明(アールチューカーのメンバーの誰か)の5人で原宿ホコ天にてライブをする。 の1月から、それぞれバンドを解散したり脱退したりしていた真島や甲本らは、本気でバンド結成のことについて考えるようになり、1985年2月に、真島と甲本の2人を中心として「THE BLUE HEARTS」を結成。 同年4月に、THE BLUE HEARTSの初ライブを行うことになった。 同年の夏に、彼らのとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌年の4月ごろにが甲本に加入を懇願し、ドラマーとして参加した。 結成当初は、の を拠点として多く活動していた。 1986年、梶原が加入した頃から「面白いバンドがいる」と、話題になり始める。 1987年2月に、シングル「人にやさしく」を自主制作で発表。 同年、メルダックよりメジャーデビューが決定し、1987年5月1日に、メジャーデビューシングル「リンダリンダ」を発売、同月に1stアルバム『THE BLUE HEARTS』を発表した。 口コミなどで、彼らの評判は若者を中心に全国的に知れ渡るようになり、の先駆けとなった。 半年後に発売した2ndアルバム『』も好調、そして1988年に発表した3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』が50万枚を超えるヒットとなり、同作からリカットされたシングル「TRAIN-TRAIN」がドラマの主題歌などにも起用されるなど、一躍音楽界のトップシーンに登り詰めた。 しかし4thアルバム以降は、以前ほどの売れ行きは見せなくなった。 その後3枚のアルバムを発表。 1995年にラストアルバムを発表し、バンドは解散。 解散とその後 [ ] 解散 [ ] 解散当時に発売された音楽誌『バンドやろうぜ』の編集局によると、「河口が宗教()に没頭し、スタッフやファンを勧誘したことに甲本と真島が怒ったために解散に至った」とされている。 しかし、甲本がのちに音楽誌に語った内容では「バンドを続けるにはある程度の演奏技術が必要。 それがあのメンバーでは出せないから解散した」となっている。 他にも雑誌『』ので、甲本は当初は解散ではなく、自分がバンドを抜けるつもりだったとのこと。 その理由に言及していないが、「あの時、甲本が言い出さなければ自分が抜けていた」とのちに真島が語っている。 活動休止中に甲本は別バンド「」、真島はソロ、梶原はドラマーズなどで活動。 結局は解散を最終決定するも、レコード会社との契約がまだ残っていたために、アルバムを一枚出す必要性に迫られた。 ラストアルバム『PAN』がブルーハーツ名義にもかかわらず、中身がブルーハーツではない(ソロの楽曲の寄せ集め)のはそのため。 そしてで「今後の予定は?」と聞かれて「解散です」と突然の解散発表。 それから10年。 2005年あたりから、元メンバーが公の場に揃って姿を見せるなど、再び交流が活発化している。 このラジオ番組で行われた解散宣言の前に届いていたブルーハーツ集団(ファンクラブ)会報誌「BLUE-PARTS」には、号外として今回のラジオ出演の告知があり、「放送内で解散宣言をします」と明記されていた。 1995年1月1日号には「ブルーハーツ集団、解散」の告知があった。 甲本はこの時に「ずっと続いているものを一旦リセットしたいと思って」と話していた。 その後 [ ] 1995年にブルーハーツを解散した後、甲本と真島は3人の新メンバーを加えTHE HIGH-LOWSを結成。 晩年のブルーハーツでもその兆候はあったが、社会的メッセージというよりな歌詞が多くなった。 それでも躍動感あふれる曲を多く作り、固定ファンの期待に応えるだけでなく、新たなファンも獲得していった。 こちらも10年後の2005年に活動休止したが、2006年に甲本と真島が再びコンビを組み、二人の新メンバーを加えを結成し活動を再開した。 ブルーハーツ解散後にメンバーがブルーハーツ時代の曲を歌うことは原則ないが、甲本は一度、他人のライブの飛び入りで「僕の右手」を歌い、また『』出演時に「リンダリンダ」のセッションにで参加しハミングをしたものの、歌唱はしなかった。 真島はイベントで何度か「青空」を歌い、河口がSUMMER SONICでらと共に「リンダリンダ」を、梶原がとして「リンダリンダ」を演奏した。 略歴 [ ]• 甲本、真島、河口、新宿の歩行者天国のイベントで初めてセッションを行う。 、甲本、真島、河口の三人は遊び仲間としてよく遊んでいた。 、当時ヒロトの家だったの廃屋のパーティーで、の解散を決定した真島が、同時期に解散したの甲本に「バンド一緒にやらないか」とブルーハーツ結成の話を持ちかける。 、真島が数人の仲間とギターを片手に甲本の住家を突然訪れてそのまま住みついてしまう。 同日の夕方、元ベース担当の望月も静岡より上京し甲本の家に住み着くようになる。 、解散。 後半、甲本、真島、望月の3人で原宿クロコダイルで行われたのライブを観た帰り、代々木公園で一人ドラムの練習をしていた英と初めて出会う。 、甲本と真島を中心に結成される。 結成当時のメンバーは、Vo. 甲本ヒロト G. 真島昌利 B. 望月正水 Dr. 英竜介。 、で初ライブ。 チケットはドリンク付きで1,000円。 、それまでマネージメントを行っていた河口が正式加入。 、都立家政スーパーロフト(現存せず)にて初ワンマン・ライブ「世界一のクリスマス」256人動員。 全レパートリー21曲を演奏。 、で開催されたライブ『 』出演。 後にこの時のライブを収録したも発売。 、アトミック・カフェ・フェスティバル出演。 プロバンドの中に混じりアマチュアバンドで唯一出演。 、「Bright Lights Beat City」を最後に英脱退。 、都立家政スーパーロフトから梶原が正式加入。 、にて2度目のワンマンライブ「人にやさしく」、489人動員。 1985を除く全レパートリー24曲を演奏。 、「ハンマーツアー」スタート。 、1stアルバム「THE BLUE HEARTS」発売• 、ニッポン放送・オールナイトニッポン第1部に出演。 DJはの• 、日比谷野外音楽堂にてライブ。 チケットは即日ソールドアウト。 3382人動員。 、初の全国ツアー「ドブネズミツアー」スタート(全40公演)。 、「TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE」スタート(全65公演)。 、「パイナップルの逆襲ツアー」(全40公演)。 、初の海外ツアー「PORTLAND TOUR'89」敢行。 9月、レコード会社をメルダックからに移籍。 杉浦逸生から白井幹夫を紹介される。 、通算17枚目のシングル「」発売。 THE BLUE HEARTSとしての最後のシングルとなる。 、にある「ロックフェスティバル」にて最後の出演。 これがブルーハーツの最後のライブとなる。 、に「THE BLUE HEARTS」として甲本と真島が出演。 とこじつけ音作文、乳首相撲対決、寸止めキス対決をした。 これが「THE BLUE HEARTS」としての最後のテレビ出演となった。 所属事務所から独立。 甲本と真島が代表となってハッピーソング設立。 、の音楽番組で解散発表(出演部分の収録は5月17日)。 、ラストオリジナルアルバム『』発売。 作品 [ ] シングル [ ] 発売日 シングル名 最高順位 レーベル 自主制作 1985年12月24日 - 自主制作・ライブ会場限定で200枚ほど配付 自主制作 1987年2月25日 26位 自主制作 1st 1987年5月1日 38位 メルダック 2nd 1987年11月21日 48位 メルダック 自主制作 1988年7月1日 39位 自主制作 自主制作 1988年7月1日 55位 自主制作 3rd 1988年11月23日 5位 メルダック 4th 1989年2月21日 23位 メルダック 5th 1989年6月21日 8位 メルダック 6th 1990年7月25日 1位 イーストウエスト・ジャパン 7th 1991年4月10日 13位 イーストウエスト・ジャパン 8th 1991年11月28日 24位 イーストウエスト・ジャパン 9th 1992年3月10日 29位 イーストウエスト・ジャパン 10th 1992年10月25日 14位 イーストウエスト・ジャパン 11th 1993年2月25日 50位 イーストウエスト・ジャパン 12th 1993年5月25日 47位 イーストウエスト・ジャパン 13th 1993年8月25日 80位 イーストウエスト・ジャパン 14th 1993年10月25日 71位 イーストウエスト・ジャパン アルバム [ ] オリジナルアルバム [ ] 発売日 タイトル 最高順位 レーベル 1st 1987年5月21日 31位 メルダック 2nd 1987年11月21日 10位 メルダック 3rd 1988年11月23日 3位 メルダック 4th 1990年9月10日 1位 イーストウエスト・ジャパン 5th 1991年12月21日 3位 イーストウエスト・ジャパン 6th 1993年2月10日 1位 イーストウエスト・ジャパン 7th 1993年7月10日 2位 イーストウエスト・ジャパン 8th 1995年7月10日 2位 イーストウエスト・ジャパン ベスト・アルバム [ ]• (1995年1月1日)- 4位 - メルダック• (1995年9月25日)- 5位 - イーストウエスト・ジャパン• イーストウエスト・ジャパン在籍時のベスト• (1995年10月16日)- 4位 - メルダック• メルダック在籍時のベスト• (1999年1月1日)- 4位 - メルダック• メルダック在籍時のアルバム3作BOX• (1999年11月25日)- 48位 - ワーナーミュージック・ジャパン• シングル集• (2010年2月24日)- 3位 - 徳間ジャパンコミュニケーションズ• THE BLUE HEARTS 30th ANNIVERSARY ALL TIME MEMORIALS~SUPER SELECTED SONGS~(完全限定生産盤)(2015年2月4日)- 3位 - トライエム ライブ・アルバム [ ]• (1996年1月1日)- 16位 - イーストウエスト・ジャパン• (1997年11月25日)- 48位 - イーストウエスト・ジャパン オムニバス・アルバム [ ]• (1986年5月)- Major• 4組のバンドによる、渋谷屋根裏でのライブを収録した盤。 「ハンマー」「人にやさしく」「未来は僕等の手の中」の3曲が収録されている。 当時はドラムス不在であったため、現のをサポートに迎えている。 リミックス・アルバム [ ]• (盗賊団名義)(1994年5月25日)- イーストウエスト・ジャパン トリビュート・アルバム [ ]• THE BLUE HEARTS TRIBUTE(2002年4月25日)-• ブルーハーツの元谷川千央が当時、彼がディレクターを担当していたのhidakaの協力のもと制作された。 青空 BEAT CRUSADERS Feat. ラブレター• (2002年8月28日) -• (2003年4月2日)-• (2005年7月20日)- ユニバーサル ミュージック ジャパン• (2010年2月24日)• 30th anniversary THE BLUE HEARTS re-mix「re-spect」(2016年1月27日) ビデオ [ ] VHS [ ]• THE BLUE HEARTS (1987年3月21日)- メルダック• THE BLUE HEARTS LIVE! 〜1987. 4日比谷野外音楽堂〜 (1987年9月1日) - メルダック• TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE SPECIAL 〜2月12日 日本武道館〜 (1988年6月21日) - メルダック• 別名『ブルーハーツ、武道館を見学。 ブルーハーツのビデオ VIDEO CLIP 1987-1989(1990年1月1日)- メルダック• 全日本EAST WASTE TOUR '91(1991年9月10日)- イーストウエスト・ジャパン• 通称『茶の間でドーダ』• ENDLESS DREAMS 〜THE BLUE HEARTS MEET THE MUTOID〜(1993年7月10日)- イーストウエスト・ジャパン• ブルーハーツのビデオ2 VIDEO CLIP 1990-1993(1993年11月10日)- イーストウエスト・ジャパン• ザ・ブルーハーツ凸凹珍道中(1995年7月10日)- イーストウエスト・ジャパン• ブルーハーツが聴こえない〜HISTORY OF THE BLUE HEARTS(1996年2月7日)- メルダック DVD [ ]• 全日本EAST WASTE TOUR '91(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン• ブルーハーツのビデオ2 VIDEO CLIP 1990-1993(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン• ザ・ブルーハーツ凸凹珍道中(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン• VHS版『THE BLUE HEARTS』と『ブルーハーツのビデオ VIDEO CLIP 1987-1989』収録• THE BLUE HEARTS LIVE! (2004年5月26日)- メルダック• VHS版の『THE BLUE HEARTS LIVE! 』と『TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE SPECIAL』を収録• ブルーハーツが聴こえない HISTORY OF THE BLUE HEARTS(2004年5月26日)- メルダック• VHS版と内容が若干違う• THE BLUE HEARTS on TV DVD-BOX(2010年6月9日)- オフィスM4/ハピネット• THE BLUE HEARTS on TV(2010年6月9日)- オフィスM4/ハピネット カセットテープ [ ]• 1st - 3rdアルバム(正規品)- メルダック• 4th - 8thアルバム(8thは非売品)- イーストウエスト・ジャパン• 1st - 6th? シングル - メルダック・イーストウエスト・ジャパン• THE BLUE HEARTSオリジナルカラオケI - IV - メルダック• 1stアルバムのプロモーションテープ(非売品)• BLAST OFF! とTHE BLUE HEARTS• USAツアー時に販売したテープ• ブルーハーツのしおり• 書籍「」を買い、応募券を送ると先着10,000名に贈られた。 その他、インディーズ時代にライブ後に自主製作で売っていたものなど。 関連商品 [ ] 書籍 [ ]• ドブネズミの詩 (1988年12月、)• 歌詞やインタビュー、ライブでのMCの語録など。 ブルーハーツのしおり (1990年3月、角川書店)• メンバーが出演していたの同名ラジオ番組を本に起こしたもの。 上記の第二集。 ザ・ブルーハーツ写真集 (1991年12月、ジャグラー)• 日曜日よりの使者の詩(2007年2月、G. ヒロト作詞の曲の歌詞を載せたもの。 未発表曲を除く139曲が載っている。 関連書籍 [ ]• ザ・ブルーハーツ 1000の証拠 (1988年12月 )• 僕の話を聞いてくれ 著 (1989年9月 )• ハイロウズの掟-青年のかたち- 著 2005年10月• 音楽誌が書かないJポップ批評41-ブルーハーツ/ハイロウズ ヒロトとマーシーの20年- 1265号 2006年3月 パチスロ [ ]• (2008年8月 )• ブルーハーツをモチーフとするタイアップ機として発売された。 販売台数は2009年3月末時点で約1万1千台。 パチンコ [ ]• (2009年9月 )• ブルーハーツをモチーフとするタイアップ機として発売された。 256人動員。 幻のソノシート、「」を配布。 「1985」はこの日が最後の演奏となった。 これまで無題だった「街」に曲名がついた。 ブルーハーツとしては最初で最後のカバー曲を演奏した。 「君のため」と「ロマンチック」を演奏した。 かわりに佐藤シンイチロウが加入。 唯一のアマチュアバンド出演だった。 テレビ東京の『SUPER MAGAZINE すばらしき人生』の取材がある。 489人動員。 特製のブルーハーツバッジがプレゼントされる。 「僕はどこへいった」、「幸せのブルース」は、この日が最後の演奏となった。 「終わらない歌」の歌詞の一部を「終わらない歌を歌おう 屋根裏のために」と変えて歌った。 711人動員。 979人動員。 オープニングは。 この2daysライブの初日は885人、2日目は1,014人動員。 初日は、元気バカ組、2日目はとUNIONがゲストに呼ばれた。 豊島公会堂では9時までしか演奏できないのだが、を変更し、アンコールを5曲歌った。 ブルーハーツのファンクラブの会報第1号のトップには、このライブのフォトレポートが掲載された。 3,382人動員。 3ヶ月前に野音でおきたのライブでの事故により、客の前におかれた柵や、大量に配置された警備員について甲本が「動物園の柵」や「表には機動隊も待ってるから安心して騒げる」と批判し、リンダリンダの演奏前には、「どうやらこの鉄の檻は人の心までも縛れんようじゃな! ざまあみろ!」と言った。 この日が最初で最後の演奏となった涙の男は、この事故についての歌である。 青空 チェルノブイリ(1986年6月22日? この日、演奏した「青空」をその日のうちにラジオで劇作家のが自分で録音したものを流していた。 この日の晩、甲本が弟のと下北沢の銭湯に行くと、この日のライブに来ていた少年に出くわしたというエピソードがある。 (4月3日放送) この日演奏された「ダンスナンバー」は甲本が二番と三番の歌詞を逆に歌ってしまい、「ダンスナンバー カップヌードル バージョン」と紹介した。 ゲストに とインディーズ時代から交友のある が呼ばれた。 ブルーハーツの次に演奏した泉谷しげるは、ブルーハーツの演奏を「ヘッタクソ!」と評してから圧倒的に上手い演奏をした。 公開録音。 一部のサイトでTOUR'88 PRETTY PINEAPPLEのライブと書かれているが間違い。 1986年~1987年に演奏されていた曲(1987年9月27日のでの演奏が最後)• DVD『ブルーハーツが聴こえない』にのみ収録されている。 2ndアルバム『』に収録される予定だったが新曲「遠くまで」「星をください」の完成によりカットされた。 付属の歌詞カード、およびブックレットの年表部分に、「窓をあけよう」が演奏された1987年7月4日ののライブのセットリストらしきものが掲載されており、同じ未発表曲の「涙の男」と共に曲タイトルのみ書かれているのが確認できる。 でも演奏され、その活動期間中に甲本のソロでデモも作られた。 1986年~1987年に演奏されていた曲(1987年9月27日ののライブでの演奏が最後)。 窓をあけようと同じく、2ndアルバム『』に収録される予定だったが新曲「遠くまで」「星をください」の完成によりカットされた。 でも演奏され、その活動期間中に甲本のソロでデモも作られたが、このデモではコーラス部分が微妙に歌詞が異なる。 また、会報誌「BLUE PARTS」の1987年11月1日号には歌詞が掲載された。 1986年10月1日 渋谷ライブイン「ワン・ツー・パンチ!! 」にて初披露。 その後数回演奏されたのみで、メジャーデビュー後は一切演奏されず。 スタジオ録音されたデモ音源が存在する。 陽のあたる場所と同じく、1986年10月1日 渋谷ライブイン「ワン・ツー・パンチ!! 」にて初披露。 その後数回演奏されたのみで、メジャーデビュー後は一切演奏されず。 1989年の全国ツアー「ON TOUR全国版」にて初披露、このツアー以降演奏されず。 ボーカルは真島。 89年の全国ツアー「ON TOUR全国版」にて初披露、アンコールのラストに演奏された。 このツアー以降演奏されず。 ライブによって歌詞が変化し、「」や「」など、89年12月の、のライブでは「」といった名も登場する。 とがのと同じ。 また、会報誌「BLUE PARTS」の1990年1月1日号には歌詞が掲載されている。 1985年~1986年に演奏されていた曲で、「世界一のクリスマス」でも演奏された。 (1986年6月9日に で行われた「人にやさしく」での演奏が最後。 スタジオ録音されたデモ音源が存在する。 1987年7月4日日比谷野音でのライブで一度のみ演奏された。 同年4月19日に起きたについて甲本自身の思いを語った曲。 付属の歌詞カード、およびブックレットの年表部分に、「涙の男」が演奏された野音のライブのセットリストらしきものが掲載されており、同じ未発表曲の「窓をあけよう」と共に曲タイトルのみ書かれているのが確認できる。 また、会報誌「BLUE PARTS」の1987年9月1日号には歌詞が掲載されている。 1986年6月9日に で行われた「人にやさしく」で一度のみ演奏された。 ギターを真島と河口、ベースを梶原が弾くというスタイル。 甲本曰く、「自身の持ち歌」らしい。 4thシングル「ラブレター」のケースの内側に「今だって ホラ ホラ ホラ! 幸せになりかけているじゃあないか ヒロト」と幸せのブルースの「今も幸せになりかけているじゃないか」という歌詞に似たフレーズがある。 この曲の存在すら不明だが一部のサイトでは歌詞を全文公開している。 この曲の存在すら不明だが 「死にかけた街 見失った道 くたばった夢なのかぁ 泣き出した空 届かない星 くたばった夢なのかぁ」という詞が一部のサイトでは「くたばった夢」の歌詞の一部だと紹介されている。 1985年12月24日「世界一のクリスマス」で一度のみ演奏された。 未発表歌詞などを含むもの [ ] 電光石火 88年の「PRETTY PINEAPPLE TOUR」中に発表された当初は音源化分の後の歌詞「水平線に隠された 宝の地図が幽かに見える 立ち止まってばかり 振り向いてばかり それじゃデタラメも夢も叶わない」や歌詞を繰り返す部分があったが、ステージを重ねる内に歌詞が削られた。 デモ音源では未発表バージョンで演奏されている。 また、未発表バージョンにおいての2回目と3回目のサビの歌詞が同じになっている。 チェインギャング 最初の数回のライブでは最後の「一人ぼっちが怖いからもうからハンパに成長してきた」が「ゴマカシはもうたくさんだ、くだらない嘘はゴメンだ」となっている。 ブルーハーツより愛をこめて 1985年に初披露したときには後半の歌詞がなかった。 ほんの少しだけ 「今、何が見える」が「今、みんなが見える」となっているライブ音源が存在する。 風船爆弾 アルバム収録版より歌詞が少なく、「あなたの胸の奥に当たれよ風船爆弾」が「今夜はその場所で爆発するんだ」となっているライブ音源がある。 88年の「PRETTY PINEAPPLE TOUR」中のものと思われる。 ライブによって歌詞が変わる曲 [ ] ブルースをけとばせ アルバムに収録される前は毎回歌詞を変えて歌っていた。 「」、「」、「」や「」といった歌詞が登場したりもした。 平成のブルース 毎回歌詞を変えて歌っていた。 「宮崎勤」や「」などといった歌詞も登場した。 ロックの豚野郎 上記と同じ。 未発表バージョン [ ] リンダリンダ(alternative versionもしくはremix-version) シングル・アルバム収録のものよりキーが1つ高く、かなりロック風なアレンジがかかっている。 その他 [ ] 少年の詩、ハンマー(ハンマーは1991年のライブで一度のみ「外は春の雨が降って僕は部屋で一人ぼっち 外は夏の雨が降って僕は部屋で一人ぼっち」と歌われてる)や2種類のメドレー(厳密には4種類)がある。 終わらない歌は1988年~1989年にかけてのライブでは最後のサビを三回演奏 二回歌唱 した。 1993年から1994年にかけて行われた凸凹ツアーでは、風船爆弾が河口ボーカル(普段は甲本ボーカル)でメドレーの五曲目として歌われた。 1988年に日清パワーステーションで行われたライブでは甲本がダンスナンバーの2番と3番の歌詞を間違えて歌い、「これからは2番と3番を逆に歌ったらカップヌードルバージョンと呼ぼう」とMCで釈明していた。 真島がのライブにゲスト出演したときには、終わらない歌、青空(一部、歌詞を変えて)、手紙、能天気を歌い、ソロライブでは、青空、さすらいのニコチン野郎を歌った。 さらに河口は、SUMMER SONICでらと共に「リンダリンダ」を歌った。 影響 [ ]• 彼らの残した影響は強く、前半に起こったブームでブレイクしたバンドの多くが、ブルーハーツの影響を強く受けていることを公言している。 音楽界以外にも、彼らから影響を受けたと語る有名人は多数いる。 劇団 の主宰・は、自身がパーソナリティを務めた『』内で、幾度となくブルーハーツ好きを公言しており、ライブにも度々足を運び、感想を語っていた。 「1985」(鴻上曰くソノシート音源)をフルで流したり、88年2月12日の武道館ライブを見に行った日の深夜の放送では、その日披露されたばかりの新曲「青空」のライブ音源を流したりと、この番組でしか聴けない音源も多かった。 後に自身の映画に「青空」を挿入歌として使用している。 1989年、作家のらが『僕の話を聞いてくれ』という、ブルーハーツを絶賛する本を出した。 吉本ばななは、「I Love ザ・ブルーハーツ」というタイトルで寄稿し、本の帯に「ブルーハーツは全員、丸ごとの自分をきちんと大事にしている。 これは大変贅沢で、かなり素晴らしいことに違いない」と書いた。 漫画家のは、メンバーをモデルとしたキャラを『』(連載)に登場させた。 また、「英雄にあこがれて」と題された回では、同タイトルのブルーハーツの楽曲(『YOUNG AND PRETTY』収録)の歌詞を作中で引用している。 また、ヒロインの初恋の思い出の曲として、「リンダリンダ」を作中で引用し、1話作っている。 2002年、主演の系ドラマ『』の主題歌と挿入歌に起用され、CDが再発。 ブルーハーツをリアルタイムで聴いていない世代も多く聴くきっかけとなった。 はブルーハーツの解散発表直後にファンレターを書いており、そのファンレターにはブルーハーツの楽曲名が25曲 「もどっておくれよ」は「もどってくれ」と書かれている も書かれており、さらに「」の歌詞を引用するなどしている。 2004年、が、ブルーハーツの楽曲19曲を使った音楽劇『リンダリンダ』を公演した。 や、らが主演。 2005年、『』という映画が制作された。 2006年、「」の歌詞を基にして作られた映画、『』公開。 同年には、このほか「」や「」も、それぞれ別のとして起用されている。 2006年 プロ野球中日ドラゴンズ藤井淳志選手が入団時、入場曲を中日スポーツで公募してブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』に決めた。 また、2009年からはブルーハーツの『キスしてほしい』を入場曲に使用している。 2015年 テレビアニメ『』が放映。 各話のサブタイトルがブルーハーツの楽曲名となっている。 また、では、主要キャストによりブルーハーツの数多くの曲が歌われている。 5月28日放送のの「日本のギタリスト列伝」というコーナーで真島が選出される。 「」のライブ映像の一部が放送された。 『』では今までに、「」、「」、「」「」が放送された。 受賞歴 [ ]• 2002年• 第32回 主題歌賞(「」、ドラマ『』主題歌) 脚注 [ ] [].

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情熱の薔薇 THE BLUE HEARTS 歌詞情報

ブルーハーツ ナビゲーター

ザ・ブルーハーツ。 言うまでもなく、伝説のパンクロックバンドである。 解散から20年経つ今なお、ブルーハーツは少しも色あせず、最高にして最強のまま。 オンタイムの世代じゃなくても、何曲かはブルーハーツの曲を知っていることだろう。 他のアーティスト同様、シングル曲、例えば、『情熱の薔薇』 『リンダリンダ』 『TRAIN-TRAIN』などが一般的には有名だが、ブルーハーツは アルバム曲にも名曲が目白押しだ。 今回はそんな「シングル曲じゃないけど名曲」を10曲ピックアップしてお届けしたい。 ・『ダンス・ナンバー』 1987年リリース・アルバム「THE BLUE HEARTS」収録。 ブルーハーツの曲の中では演奏時間が最も短い、1分28秒の曲。 だがその中に込められたメッセージは強く、「 豆腐にぶつかって死んじまえ」は超有名フレーズである。 ・『電光石火』 1988年リリース・アルバム「TRAIN-TRAIN」収録。 タイトル通り、「電光石火」から始まりサビも「電光石火」のフレーズが繰り返される。 ・『皆殺しのメロディ』 1991年リリース・アルバム「HIGH KICKS」収録。 「バカーーー!」 から始まるこの曲は、出だしの ベースが最高にかっこいい。 ブルーハーツらしい疾走感にあふれまくっており、凝縮された2分8秒の名曲。 ・『テトラポットの上』 1993年リリース・アルバム「STICK OUT」収録。 スピード感ある曲調で、特にサビは怒涛のラッシュ。 ちなみに、ライブで一度も演奏されなかった数少ない曲の1つでもある。 ・『インスピレーション』 1993年リリース・アルバム「STICK OUT」収録。 ブルーハーツの曲全般にいえることだが、リズムが体に勝手に入ってくるようなノリの良さで、気付けば口ずさんでいる曲。 ・『月の爆撃機』 1993年リリース・アルバム「STICK OUT」収録。 この時期のブルーハーツらしい、 シュールなメッセージが詰め込まれた名曲。 その後、マキシマムザホルモンによってもカバーされた。 ・『手紙』 1993年リリース・アルバム「DUG OUT」収録。 一般的にブルーハーツの曲は、スピーディーでいわゆる激しい系が有名だが、スローテンポな曲にも名曲は多い。 出だしの「 ヴァージニア・ウルフのメノウのボタン」の意味が分からず、筆者は当時悩みまくった。 ・『夜の盗賊団』 1993年リリース・アルバム「DUG OUT」収録。 こちらもスローテンポな曲。 なぜかわからないが、歌詞の「誰かが忘れていったサンオイルがこぼれている」が、当時切なくて仕方なかった。 ・『パーティー』 1993年リリース・アルバム「DUG OUT」収録。 一度聴いたら「パーティー」の フレーズとメロディが耳から離れない。 全体的にシュールな歌詞ではあるが、「いつか いつでもいいから」から始まる箇所にビシッとメッセージが詰め込まれている。 ・『チャンス』 1993年リリース・アルバム「DUG OUT」収録。 このアルバムにはスローテンポな曲が多いが、こちらもスローテンポな曲。 歌詞はもちろん、甲本ヒロトのハーモニカが心に染み渡る。 いかがだっただろうか? 筆者はブルーハーツのオンタイムが「STICK OUT」「DUG OUT」付近なので、どうしてもその周辺の曲が多くなってしまった。 もちろん今回ご紹介できなかった曲も名曲だらけだし、ハイロウズもクロマニョンズも最高である。 驚くほど色あせない名曲の数々をご堪能いただきたい。 執筆: Photo:RocketNews24.

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ブルーハーツの現在【メンバーの今,画像,ボーカル,年収】伝説,解散理由は宗教の幸福の科学?甲本,真島,河口,梶原

ブルーハーツ ナビゲーター

「」 リリース:• 「」 リリース: BUST WASTE HIP(バスト・ウエスト・ヒップ)は、の4枚目のである。 解説 [ ] レーベル移籍第1弾アルバム。 初の1位を獲得した作品。 前作と比べて硬質なロック、、、の色が濃くなり、歌詞はストレートなものから抽象的なもの、 意味性を無視したものが増えた。 真島は「ブルーハーツの予定調和を打開しようとしていた時期」と当時のインタビューで語っている。 初回限定版はプラケース入りで、はピクチャー仕様、ブックレット付き。 に、25周年企画の一環で、デジタル・リマスタリングを施して再発された。 収録曲 [ ]• イメージ (・:)• 殺しのライセンス (作詞・作曲:) 89年の全国ツアー「ON TOUR全国版」で初披露された時は、歌詞は同じだが曲の構成が違っていた。 (作詞・作曲:甲本ヒロト)• 脳天気 (作詞・作曲:真島昌利) バンドでは甲本がボーカルだが、真島が自身のソロライブで歌った事もある。 夜の中を (作詞・作曲:真島昌利) 原曲は時代の真島の曲「夜の中で」だが歌詞はほとんど違う。 悲しいうわさ (作詞・作曲:真島昌利)• Hのブルース (作詞・作曲:真島昌利) 「Hとは、甲本ヒロトのこと」と真島がインタビューで答えていたことがある。 夢の駅 (作詞・作曲:甲本ヒロト) 後年発売されたにシングル曲またはベストアルバム収録曲以外で唯一収録された。 恋のゲーム (作詞・作曲:甲本ヒロト)• スピード (作詞・作曲:真島昌利) トラックの最後の部分で切れ目なく次の「キューティパイ」と繋がっている。 キューティパイ (作詞・作曲:真島昌利) 「数字の羅列でも気持ちは通じるはず」と意味のある歌詞を求められることへの反発した曲。 歌詞はの46桁。 ライブではもミックスさせて演奏された。 (作詞・作曲:甲本ヒロト) シングルとは別テイク。 一発録り。 真夜中のテレフォン (作詞・作曲:) この曲で初めて河口純之助がボーカルを担当、ライブでは大幅にアレンジが変更されて演奏された。 ナビゲーター (作詞・作曲:甲本ヒロト) 甲州街道を散歩していて歩道橋の上で出来たという。 ナビゲーターでは河口の父がプロデュースしていた高校生のを起用したことについて甲本いわく「その方が、(演奏技術や雰囲気が)自分たちにピッタリだから」と。 ブルーハーツの晩年、宗教に心酔していた河口は、甲本の楽曲を「宗教的に無知」と非難していたが、この曲に関しては「凄ぇと思う。 こういうのなら何年経っても歌えるんだ」と絶賛していた。

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