第二波 やばい。 第二波への備えは大丈夫か?コロナ赤字に苦しむ病院の生の声

コロナの第二波はいつ頃来る?このやばい予言をあなたは信じる?

第二波 やばい

疫病の歴史を振り返る 疫病の歴史を見てみると、中国発と言われる言説が多く、疫病が発生するたびに地球の歴史に大きな影響を与えてきています。 その後、順調に増大して1300年には7300万人にまで膨れあがりました。 しかし1348年にペストが大流行し、 わずか3年間で人口の三分の一を失ってしまいます。 健康な人間が伝染病で次々と倒れていく様を見た人びとは、 今まで信じていた神に懐疑的となり、これが宗教改革のきっかけとなりました。 この時のペストがどこで発生したかについては 諸説ありますが、もっとも有力な説は 中国の南宋王朝で流行したというもので、 南宋と戦っていたモンゴル軍へと伝染したというものだ。 チンギス・カーンの孫のモンケ・カーンはその途上でペストにより病死しています。 モンゴル帝国はアジアの大半から ヨーロッパにかけて広大な領土を占有していて、 その支配下で中央アジアのステップ地帯を横断する東西貿易が盛んでした。 その交易品の中にペスト菌を運ぶネズミがいたのだと言われています。 これによりペストは西アジアからクリミア、ベネチア、北アルプスを経て、ヨーロッパ全体に広がることになりました。 そう! シルク・ロードは疫病の通り道でもあったのです。 モンゴル帝国は1200年から1350年に 最盛期を迎えたが、その後、弱体化し分裂していきます。 中国においては1368年、 朱元璋が中国華南地域を統一し、明王朝を建てます。 モンゴル帝国が衰退した理由の一つに 異常気象とそれに伴う飢饉、ペストの大流行が挙げられています。 1200年には1億3千万人だった中国大陸の人口は、 1393年には6千万人と半分以下になってしまった。 その原因の一つになったのがやはり疫病の大流行でありました。 明朝末期の萬暦・崇禎 1573年~1644年 に、 華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、 少なくとも1千万人の死者が出たといいます。 同時に飢饉が続き、怖いですが民衆が共食いをしたという記録が残っているみたいです! 各地で農民が反乱を起こし、流民・流賊の移動よって、さらに疫病を広げてしまう結果となりました。 その混乱をついた満洲族王朝・清がですが、1644年に中国本土に侵入して征服しますが、順治18 1661 年の人口はわずか2460余万人。 明王朝が最盛期だった三分の一。 1820年には広東でコレラが大流行し、翌年には北京にも広まります。 1822年10月から11月中旬にコレラは 初めて日本に上陸し、全土に広まった。 経路については2つあり、 中国との貿易拠点である長崎経由で伝わったという説と、 朝鮮から対馬経由で入ったという説があります。 いずれにしろ、日本は鎖国中であったにもかかわらず、 わずかな隙をついて、中国発のコレラに襲われてしまいます。 19世紀末には雲南省で発生したペストが中国全土に広がります。 広東省から香港を経由し、船でサンフランシスコに伝染し、全米に流行した。 インドでも600万人が死亡。 この時、香港は英国の統治下にあったが、 英国側の調査に対して、香港の衛生担当者は 「ペストなどありえない。 雨がふれば大丈夫」 と答えていました。 世界で6億人が感染し、死者は2千万人から4千万人と言われています。 日本でも2300万人以上が感染し、39万人が死亡。 米国での死者は、南北戦争と第二次世界大戦の戦死者よりも多かった。 「スペイン風邪」という名称から、 スペインが発源地と思ってしまいますが、 スペイン王室の一員がこのインフルエンザにかかって新聞に報道されたことから、この名称が使われるようになったといいます。 そもそもの原因は1918年5月末、フランスのマルセイユで流行し始め、半月ほどの間に第一次世界大戦の西部戦線でにらみ合っていた両軍兵士たちの間の蔓延からだと言われています。 そしてインドには中国・広東省から伝染した という説が多くの学者によって支持されています。 別の説では中国人労働者から米国内の米軍人が感染し、彼らがマルセイユ経由で欧州に派兵させられたことによって西部戦線に広がったという考え方もあります。 20世紀に入ってからはウィルスによる感染症の地球規模の大流行は3度ありました。 このスペイン風邪と、 57年のアジア風邪、 68年の香港風邪である。 いずれも中国発のインフルエンザだと言われています。 中華文明は黄河の濁流から生まれた。 そこから、穢れを忌避しない儒教のドグマ(教義)ができあがります。 結論から言うと、 中国人は文明が誕生したときから今まで清浄の思想がなかったというのです。 その結果、 世界でもっとも不衛生で不潔な国ができあがったのであります。 かつて日本に留学し、軍隊生活も経験していた蒋介石は、日本人の生活の規則正しさと清潔さに驚いたといいます。 蒋介石は、中国人はどこでも構わず痰を吐き、家の中は掃除もしない。 食事は立ったままで、野菜の切れ端や残飯はあたりに撒き散らかされ、足の踏み場もないほどだ、と嘆き、 1930年代に「新生活運動」を鼓舞して、日本に学ぼうとしたほどです。 しかし、数千年来の生活習慣の取り組みは、 一時的な精神運動でしかなく変わることはありませんでした。 現代中国においても、日系企業で働く者の様子について次のように述べられています。 その工場には女子作業者のための 5階建ての立派な寮があるのだが、 その隣にある平屋の建物の屋根には 残飯がたくさん散らばっていた。 驚いて日本人社長に聞くと、 寮の女子作業者たちが食べかすを 窓から投げ捨ててしまうのだという。 見つけたら罰金をとるなどして 一生懸命にしつけようとしているが、 なかなか直らないと、その社長は嘆いていた。 工場では一生懸命に働き、 また田舎の父母に仕送りをしている 感心な女の子が多いのだが、 勤勉や親孝行という徳目はあっても、 「清浄」という思想はないようだ。 それもそのはずです! だって罰則が凄いから! 笑 たとえばタバコの吸い殻を路上に捨てると 150シンガポールドル(約1万2千円) バスからゴミを捨てたら1000ドル(約8万円) その他、痰を吐いても、公衆トイレを流し忘れても罰金が科される。 どうやら中国人には「清浄」の観念が 欠如しているので、衛生向上のためには 法によって厳しく罰する以外、手がないのですね。 罰則による一つの成功例ですが、もう一つあります。 日本統治時代の台湾です。 清朝時代の台湾は 「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」 とも呼ばれ、毎年のように数千名のコレラ患者が発生していました。 台湾平定時の日本軍は戦死者164名に対し、病死者が実に4,642名という有様! 内務省衛生局長から台湾の民政長官に抜擢された後藤新平は疫病予防は上下水道の設置から始まるとして、大規模な上水道と、パリの下水道にならった排水路を建設します。 また 主要道路は舗装することで深い側溝を作り、汚水雨水の排出を速やかにした。 ほとんど都市の形をなしていなかった台北ですが、 大都市計画を実行し、整然とした清潔な市街を作り上げていきます。 さらに 伝染病を抑えるために、台湾医学校が設立されて、多くの台湾人医師を育ててきました。 こうした努力により、台湾では日本と同様の近代的な公衆衛生インフラが築かれたのであります。 しかし日本の敗戦によって 台湾に入ってきた国民党軍によって再び疫病を持ち込まれます。 1946年にはコレラ、ペスト、翌年には天然痘が大流行した。 いずれも日本統治時代に絶滅していた疫病です。 この時は国連の指導と救援で、なんとか疫病撲滅に成功。 揚子江流域は、 世界最大のB型ウィルス感染地帯であり、 感染者は1億人。 農村では6千万人から1億人の住血吸虫患者がいます。 WHO(世界保険機構)の資料では、 首都・北京でさえ、 人口の5割は寄生虫保卵者であるとしている。 そのほか 肺結核感染者が4億人いると中国の衛生省が発表している。 さらに栄養不足や環境悪化からくるカルシウム不足が深刻化しており、 1億5千万人が歯の病気、骨疎症にかかっていると言われています。 またエイズにいたるHIV感染者・患者数は、 2001年末の中国の公式報告では3万736人だったのが、 02年上期ではすでに感染者・患者数は100万人を突破! 「対策が不十分だと、2010年には感染者は1千万人に達する」との予測が発表された。 スペイン風邪は第2波がヤバかった? 致死率は低いものの被害者数は他の疫病よりも群を抜いています。 第1次世界大戦中に世界を襲い、戦争の終結を早めたとはいえ、6億人ですからね! しかも戦争による死者よりも、スペイン風邪による死者の方が多いわけです。 引用: いまコロナウイルスもひと段落を迎えていますが、スペイン風邪の教訓からも、歴史的にみても第1波よりも第2波に注意するべきだと言われています。 日本では、1918年11月~1919年6月が第1波と言われています。 調査によれば 第2波の方が死亡率が高いと記録があります。 1回目に感染した人が再感した場合は軽症で、2回目で始めて感染した人は比較的重症になりやすく、死亡率は第1波の約4,5倍に及んだそうです。 こういった教訓からも単純にコロナの第2波に対する警戒をしていかなければならないということになります。 いったん収まった韓国ではクラスターがあり、中国の武漢でも再び感染者がでてきました。

次の

コロナの第二波はいつ頃来る?このやばい予言をあなたは信じる?

第二波 やばい

先月、日本病院会・全日本病院協会・日本医療法人協会の3団体が、新型コロナの影響で全国の「3分の2」の病院が赤字に転落しているという衝撃の調査結果を発表しました。 そこできょうは、病院の経営悪化の実態について、7月9日TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(月~金、6:30~8:30)の「現場にアタック」で、レポーター田中ひとみが取材報告しました。 病院の中には、医師を一方的に解雇したり、ボーナスゼロで看護師が大量に離職するケースも出てきているようです。 今、病院で何が起きているのか。 練馬区にある東京保険生活協同組合「大泉生協病院」の院長・齋藤文洋さんに、まずは患者数がどう推移しているのか伺いました。 去年の4月の外来の患者は4,949人、今年の4月は3,523人。 大体7割5分くらいで相当数が減ってる。 厳しい。 小さい病院やクリニックは外来の収益が結構大きいので、8割を割るとやってないに近い。 予約の人は高齢者が多く、コロナが怖いので、電話で再診してFAXで処方箋を発行したりする。 あと普段だとちょっと心配だから来る人、ちょっと血圧高いから来る人たちも、恐怖が先だって受診を控える。 一番危ない病院には当然行かない・近づかない、皆さんの素直な行動。 診療報酬の基本的な仕組みは薄利多売。 患者一人当たりの収益が少ないが、数を見ることで収入を得て経営しているので、当然、数が減ればガクンと収入が減る。 5月は「2〜3割の減少」、6月に入ってからも回復せず、一時期はすっかり暇だったということです。 その理由としては勿論、人々の恐怖心もあるんですが、ほかにも、様々な理由が病院の経営を圧迫していることがわかりました。 一つは、3・4月にあるはずだった健康診断の全面中止です。 春は企業の健康診断の時期だが、今年はナシ。 こちらの病院ではタクシードライバーの100名単位の健診が予定されていたそうですが、その全てが中止。 健康診断は多い時期だと収益の1割近くを占めるそうなので、検診ゼロは、かなりの痛手だそうです。 コロナが疑わしい人も受診できる発熱外来は、どの程度 診療報酬の助けになっているのか、聞いてみました。 「大泉生協病院」院長・齋藤文洋さん 「診療報酬の助けには、それほどなってない。 なぜなら発熱外来は手間暇がかかる。 特に高齢者だと本当にコロナの可能性がないか、血液検査やCTをする必要がある。 普通だと検査の翌日に結果を伝えたりするが、今回はその日に全ての結論を出す、PCRをやるか判断しなければいけない。 採血、CT、問診、診察。 一人に20〜30分、場合によっては1時間かかるので、数を診なければ収益が上がらない診療報酬の中で、数を少なくしっかり診なきゃいけないので、診療報酬の点数は少ない。 効率度外視。 ここまで悪くなるとは思わず始めたので、やってみて、やばい!一歩間違えると病院潰れるじゃないかと、いわゆる「ビビりました」ってヤツですね。 」 発熱外来は診察も大変、そしてスタッフの人数的にも大変。 というのも発熱外来は、点滴の処置などで看護スタッフを多めに配置しておかなければならず、普通の外来だと、医者1人+看護師1人で30人位の患者を診ますが、発熱外来は医者2人+看護師3人=計5人で、じっくり15人を診ます。 そこに防護服などの感染予防の経費も乗って来るので、一般的に大変と言われている小児科と比べても極端に手が掛かるそうです。 大泉生協病院に限っては、地域の組合員と医療従事者が協力して運営する「生協」の病院なので、何とか乗り切っているそうですが、私立の病院は頼る先がないので、結果的に、医者のリストラに踏み切らざるを得ないところもあるようです…。 この制度が国によって臨時的に設けられたそうですが、人件費を考えると全然足りない!と齋藤さんは憤っていました。 ただ、こちらの病院ではコロナの入院患者も受けています。 入院患者については、安倍総理が「診療報酬を倍にする」と言っていたので、その分はどうなっているのか?齋藤さんに伺いました。 「大泉生協病院」院長・齋藤文洋さん 「入院自体は重症者の人の診療報酬を3倍にした。 凄いと思うじゃないですか。 でも、東京都で重傷者のピークは110人くらい。 いま感染者数は6,000人を超えていて、その内の8割は軽症。 その方の診療報酬は上がっていないので、診療報酬が上がった恩恵は、ほとんどの病院が得ていない。 安倍さんは現場がどういう風に動き、どういう風に患者を診ているのか、あまり理解されていない。 色んなことを政府や東京が言ってるが、アベノマスクも含めタイムリーじゃない。 病院の中には第二波の時にはコロナ診ない所もある。 収益は落ちる、具体的な対策はない、潰れるだけだからもう診ないと。 コロナの診療をきっちりやるための下支えをして欲しい、それが行政の役割だと思う。 7月12日(日)の放送は、モデル・タレントのよしあきさんが登場。 リスナーからの相談に応えました。 よしあきさん <リスナーからの相談> 私はもともと同級生とうまく話が合わせられず、なんとなく学校が苦手だったのですが、コロナで学校が休校になり、それがキッカケで休校明けもまったく通えなくなってしまいました。 そんなこともあってこの前、親と言い争いになって、かなりひどいことを言ってしまいました……。 親も泣いて、私も泣いてしまいました。 その後は家でも普通にしていますが、本当は「ごめんね」と謝りたくて……どうしたら自然に言えますか? 親は気にしていないようだけど、私が言いたいんです(ラジオネーム:ラムさん) * * * 大久保:よしあきくんは不登校が6年間もあったわけだけど。 この子も学校に行けないこともあるけど、まずは親に「ごめんね」を言いたい、と。 よしあき:そうですね。 僕はお母さんと仲がいいので「ごめんね」って謝ろうとしても(逆に)ケンカになっちゃうんです。 なので、僕は敢えてLINEとかで言うようにしています。 大久保:そっか、そうしたら余計なことは言わないから、「ごめんね」だけが伝わると。 確かに言葉同士だと、言い合っているうちに「今の言い方が気に入らない」みたいなのが始まっちゃう場合があるもんね。 よしあき:そうなんです、論点がずれたりして。 大久保:でも自分からどうしても言いたいって思えるラムさんは偉いな、と思う。 私も30歳過ぎてから親と1回ケンカしたときに「謝れないし謝りたくないな~」と思いながらムスッとして帰ってきたら、やっぱり親のほうから「昨日はいろいろ言ったけど、応援するから頑張ってね」みたいなことをぶっきらぼうに言ってくれて、「親って偉いな」と思ったことがあるのね。 よしあき:さすがですね、親って。 大久保:ラムさんは自分が言いたいと思っているだけでもすごく素敵だし、今よしあきくんが言ってくれたように、もし(直接)言えなかったらまずLINEで「ごめんね」を伝えて、そのあとにしゃべれるようになったらいいよね。 よしあき:そうですよね。 LINEとかだったら緊張感とかも少なくなるので、言いやすいと思います。 スタンプじゃなくて、文章のほうがいいかなと僕は思います。 大久保:それはちゃんと文章で送ったほうがいいですね(笑)。 ラムさんは今、コロナもあって不登校になっているって言ってるけど、よしあきくんが不登校から抜け出せたのは何だったの? よしあき:ちょっとずつ自分に自信をつけることですかね。 本当に小さいことでいいので。 不登校になると外に出ないので、本当に太陽の光を浴びなくなるんです。 だけど太陽光は本当に浴びたほうがいいです。 なので、まずは早寝早起きですね。 朝ちゃんと起きたほうが……。 大久保:今、早寝早起きしてないでしょ!? よしあき:そうなんですよ(笑)。 夜起きているといろいろ考えちゃうじゃないですか、いらないことを。 だから「考える前に寝る!」、これが1番だと思います。 大久保:ゲームもやらない! よしあき:(笑)。 そうです、はい。 頑張ってください、僕も頑張るので。 大久保:そうね。 大変だと思うけど、生活面のほうは立て直していただいて……お母さんに謝る話だけど、親って大丈夫なのよ。 ひどいことを言ったとしても意外と受け止めているし、意外とラムさんが反省しているなっていうのも謝らなくてもわかっている気がする。 よしあき:僕も絶対にわかっていると思います。 やっぱり血のつながりは強いですね。 大久保:血のつながりが大事だと。 ちょっと参考にしてみてください。 次回7月19日(日)の放送は、俳優の浅利陽介さんとリスナーのお悩みに寄り添っていきます。 どうぞお楽しみに。

次の

コロナの第二波はいつ頃来る?このやばい予言をあなたは信じる?

第二波 やばい

疫病の歴史を振り返る 疫病の歴史を見てみると、中国発と言われる言説が多く、疫病が発生するたびに地球の歴史に大きな影響を与えてきています。 その後、順調に増大して1300年には7300万人にまで膨れあがりました。 しかし1348年にペストが大流行し、 わずか3年間で人口の三分の一を失ってしまいます。 健康な人間が伝染病で次々と倒れていく様を見た人びとは、 今まで信じていた神に懐疑的となり、これが宗教改革のきっかけとなりました。 この時のペストがどこで発生したかについては 諸説ありますが、もっとも有力な説は 中国の南宋王朝で流行したというもので、 南宋と戦っていたモンゴル軍へと伝染したというものだ。 チンギス・カーンの孫のモンケ・カーンはその途上でペストにより病死しています。 モンゴル帝国はアジアの大半から ヨーロッパにかけて広大な領土を占有していて、 その支配下で中央アジアのステップ地帯を横断する東西貿易が盛んでした。 その交易品の中にペスト菌を運ぶネズミがいたのだと言われています。 これによりペストは西アジアからクリミア、ベネチア、北アルプスを経て、ヨーロッパ全体に広がることになりました。 そう! シルク・ロードは疫病の通り道でもあったのです。 モンゴル帝国は1200年から1350年に 最盛期を迎えたが、その後、弱体化し分裂していきます。 中国においては1368年、 朱元璋が中国華南地域を統一し、明王朝を建てます。 モンゴル帝国が衰退した理由の一つに 異常気象とそれに伴う飢饉、ペストの大流行が挙げられています。 1200年には1億3千万人だった中国大陸の人口は、 1393年には6千万人と半分以下になってしまった。 その原因の一つになったのがやはり疫病の大流行でありました。 明朝末期の萬暦・崇禎 1573年~1644年 に、 華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、 少なくとも1千万人の死者が出たといいます。 同時に飢饉が続き、怖いですが民衆が共食いをしたという記録が残っているみたいです! 各地で農民が反乱を起こし、流民・流賊の移動よって、さらに疫病を広げてしまう結果となりました。 その混乱をついた満洲族王朝・清がですが、1644年に中国本土に侵入して征服しますが、順治18 1661 年の人口はわずか2460余万人。 明王朝が最盛期だった三分の一。 1820年には広東でコレラが大流行し、翌年には北京にも広まります。 1822年10月から11月中旬にコレラは 初めて日本に上陸し、全土に広まった。 経路については2つあり、 中国との貿易拠点である長崎経由で伝わったという説と、 朝鮮から対馬経由で入ったという説があります。 いずれにしろ、日本は鎖国中であったにもかかわらず、 わずかな隙をついて、中国発のコレラに襲われてしまいます。 19世紀末には雲南省で発生したペストが中国全土に広がります。 広東省から香港を経由し、船でサンフランシスコに伝染し、全米に流行した。 インドでも600万人が死亡。 この時、香港は英国の統治下にあったが、 英国側の調査に対して、香港の衛生担当者は 「ペストなどありえない。 雨がふれば大丈夫」 と答えていました。 世界で6億人が感染し、死者は2千万人から4千万人と言われています。 日本でも2300万人以上が感染し、39万人が死亡。 米国での死者は、南北戦争と第二次世界大戦の戦死者よりも多かった。 「スペイン風邪」という名称から、 スペインが発源地と思ってしまいますが、 スペイン王室の一員がこのインフルエンザにかかって新聞に報道されたことから、この名称が使われるようになったといいます。 そもそもの原因は1918年5月末、フランスのマルセイユで流行し始め、半月ほどの間に第一次世界大戦の西部戦線でにらみ合っていた両軍兵士たちの間の蔓延からだと言われています。 そしてインドには中国・広東省から伝染した という説が多くの学者によって支持されています。 別の説では中国人労働者から米国内の米軍人が感染し、彼らがマルセイユ経由で欧州に派兵させられたことによって西部戦線に広がったという考え方もあります。 20世紀に入ってからはウィルスによる感染症の地球規模の大流行は3度ありました。 このスペイン風邪と、 57年のアジア風邪、 68年の香港風邪である。 いずれも中国発のインフルエンザだと言われています。 中華文明は黄河の濁流から生まれた。 そこから、穢れを忌避しない儒教のドグマ(教義)ができあがります。 結論から言うと、 中国人は文明が誕生したときから今まで清浄の思想がなかったというのです。 その結果、 世界でもっとも不衛生で不潔な国ができあがったのであります。 かつて日本に留学し、軍隊生活も経験していた蒋介石は、日本人の生活の規則正しさと清潔さに驚いたといいます。 蒋介石は、中国人はどこでも構わず痰を吐き、家の中は掃除もしない。 食事は立ったままで、野菜の切れ端や残飯はあたりに撒き散らかされ、足の踏み場もないほどだ、と嘆き、 1930年代に「新生活運動」を鼓舞して、日本に学ぼうとしたほどです。 しかし、数千年来の生活習慣の取り組みは、 一時的な精神運動でしかなく変わることはありませんでした。 現代中国においても、日系企業で働く者の様子について次のように述べられています。 その工場には女子作業者のための 5階建ての立派な寮があるのだが、 その隣にある平屋の建物の屋根には 残飯がたくさん散らばっていた。 驚いて日本人社長に聞くと、 寮の女子作業者たちが食べかすを 窓から投げ捨ててしまうのだという。 見つけたら罰金をとるなどして 一生懸命にしつけようとしているが、 なかなか直らないと、その社長は嘆いていた。 工場では一生懸命に働き、 また田舎の父母に仕送りをしている 感心な女の子が多いのだが、 勤勉や親孝行という徳目はあっても、 「清浄」という思想はないようだ。 それもそのはずです! だって罰則が凄いから! 笑 たとえばタバコの吸い殻を路上に捨てると 150シンガポールドル(約1万2千円) バスからゴミを捨てたら1000ドル(約8万円) その他、痰を吐いても、公衆トイレを流し忘れても罰金が科される。 どうやら中国人には「清浄」の観念が 欠如しているので、衛生向上のためには 法によって厳しく罰する以外、手がないのですね。 罰則による一つの成功例ですが、もう一つあります。 日本統治時代の台湾です。 清朝時代の台湾は 「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」 とも呼ばれ、毎年のように数千名のコレラ患者が発生していました。 台湾平定時の日本軍は戦死者164名に対し、病死者が実に4,642名という有様! 内務省衛生局長から台湾の民政長官に抜擢された後藤新平は疫病予防は上下水道の設置から始まるとして、大規模な上水道と、パリの下水道にならった排水路を建設します。 また 主要道路は舗装することで深い側溝を作り、汚水雨水の排出を速やかにした。 ほとんど都市の形をなしていなかった台北ですが、 大都市計画を実行し、整然とした清潔な市街を作り上げていきます。 さらに 伝染病を抑えるために、台湾医学校が設立されて、多くの台湾人医師を育ててきました。 こうした努力により、台湾では日本と同様の近代的な公衆衛生インフラが築かれたのであります。 しかし日本の敗戦によって 台湾に入ってきた国民党軍によって再び疫病を持ち込まれます。 1946年にはコレラ、ペスト、翌年には天然痘が大流行した。 いずれも日本統治時代に絶滅していた疫病です。 この時は国連の指導と救援で、なんとか疫病撲滅に成功。 揚子江流域は、 世界最大のB型ウィルス感染地帯であり、 感染者は1億人。 農村では6千万人から1億人の住血吸虫患者がいます。 WHO(世界保険機構)の資料では、 首都・北京でさえ、 人口の5割は寄生虫保卵者であるとしている。 そのほか 肺結核感染者が4億人いると中国の衛生省が発表している。 さらに栄養不足や環境悪化からくるカルシウム不足が深刻化しており、 1億5千万人が歯の病気、骨疎症にかかっていると言われています。 またエイズにいたるHIV感染者・患者数は、 2001年末の中国の公式報告では3万736人だったのが、 02年上期ではすでに感染者・患者数は100万人を突破! 「対策が不十分だと、2010年には感染者は1千万人に達する」との予測が発表された。 スペイン風邪は第2波がヤバかった? 致死率は低いものの被害者数は他の疫病よりも群を抜いています。 第1次世界大戦中に世界を襲い、戦争の終結を早めたとはいえ、6億人ですからね! しかも戦争による死者よりも、スペイン風邪による死者の方が多いわけです。 引用: いまコロナウイルスもひと段落を迎えていますが、スペイン風邪の教訓からも、歴史的にみても第1波よりも第2波に注意するべきだと言われています。 日本では、1918年11月~1919年6月が第1波と言われています。 調査によれば 第2波の方が死亡率が高いと記録があります。 1回目に感染した人が再感した場合は軽症で、2回目で始めて感染した人は比較的重症になりやすく、死亡率は第1波の約4,5倍に及んだそうです。 こういった教訓からも単純にコロナの第2波に対する警戒をしていかなければならないということになります。 いったん収まった韓国ではクラスターがあり、中国の武漢でも再び感染者がでてきました。

次の